事実か解釈かを意識する

「事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである」というのはニーチェの言葉ですが、これはさまざな悩みに対して応用できる考え方だと思います。

 

仏教にも唯識思想という考え方があり、これは要は世の中で起きていると思っていることは、自分がそう捉えているにすぎないというものです。

悲しいことが起きたとしても、それは客観的に見て悲しいことが起きたというわけではなく、自分が悲しいと捉えている出来事が起きているということにすぎません。

物事は客観的な事実ではなく、主観的な解釈から成り立っているのです。

 

だから何が起きても自分さえ前向きになれれば悩むことはない、といってしまえばそれまでですが、さすがにそう簡単に割り切れないことだってあります。

とはいえ、何かにぶつかって悩んだ時に事実と解釈を分ける思考法を頭に備えているだけで冷静に考えやすくなるはずです。

「自分はだめな人間だ」と思うことがあったとしても、では客観的にそれを証明しろといわれればできないものです。

それが分かれば、自分は根拠もなくそんな風に思い込んでいるということに気づけます。

 

この事実と解釈を分けるという考え方は、人に悪口を言われたりだめ出しを受けた時にも有効です。

その言われた内容は、その人の解釈であるにすぎません。

それをあたかも誰しもが認める事実であるかのように思うから、落ち込むことになるのです。

もちろん改善のために聞き入れるべきだめ出しもあるでしょうが、悪意のあるようなものまで受け止めていたらきりがありません。

 

事実と解釈に分けて、解釈は流すということを意識すれば、無駄なことで悩むことが減ると思います。