風景について② 風景が人間をつくる

3 自然が芸術を模倣する

 

風景のイメージというのは人々に共有され、「諸芸術や言語のかたちで客観化し外在化する段階にいたって初めて安定する」のである。

風景体験は広く伝播し、時代の中で変化しながらも受け継がれていく。

「ときに実景が消滅しても、ことばや絵画に造形された表象だけは残り、継承」されていく。

 

オスカー・ワイルドの「自然が芸術を写生し模倣するのだ」という言葉にはそれなりに真理が含まれている。

「われわれは芸術作品を投影して自然を見る」というのは、一理ある考え方なのである。

 

例えば下記のように、人々の思想が風景体験を作り出すということも起こりうる。

「風景体験の変容ということが起こる場合、表層をなす新しい体験の基底に伝統的感性が横たわっている点が大事である。古い山岳信仰が近世の富士講というような大衆的観光現象へと変容したように、多くの山岳風景体験の底にはやはり近世のいわゆる『お山』の思想が尾をひいている」

 

4 実用との兼ね合い

 

徳川家康の言葉に「まことらしきうそをいうも、うそらしきまこというべからず」というものがある。

これは風景にもいえることかもしれない。

風景における「まこと」とは、「実用」ということである。

「ともすれば、『うそらしきまこと』に終わることが多い。たとえば、田園のなかをのどかに流れる野川を、定規でひいたような、どぎついコンクリートの護岸に改修してしまう。すると、風景にしっくりおさまっていた川が、とたんに空々しく辺りから浮いてしまう。ほんとうの川がうそらしく見える」

 

この実用との兼ね合いは非常に難しい問題である。

「『用』と『美』のあいだに単純な関数関係は存在しない。しかも、その間に介在する象徴項は、『用』を通じた物への愛着を欠くとき、たちまち凍えてしまう。そのうえ、厄介なことに、『用』それ自体に社会構造の不自然さが投影されることが多くなってきている」

 

5 人間と風景

 

最後に、人間と風景の関係について書かれてある部分を引用したい。

風景に心を奪われてその虜になった時に、人が風景をとらえるのではなく風景が人をとらえている。

それは禅宗において、世界の方から進んで「我」を明らかにしてくれるという「万法進みて自己を証す」という考え方に一致する。

 

「環境に対する人間の主体的自我をとりもどすには、環境を対象視する自己にとどまらず、『環境が進んで証してくれる』自己を自覚しなおすという逆説を生きるしかないように思える。そのためには、まず環境に対する『共感』が必要である。それを欠けば、いかなる環境思想も誤まるであろう。環境と人は、物心一如の系をなしているからである」

 

「風景はときに、その人物の運命を見守り、またあるときは、彼のいのちが、身体の境界を超えて、あたりに拡がっているようにも見える。文学が、人事が筋書の間合に、背景の山や街並を描くのは、作家の気まぐれではない。背景があって初めて登場人物は生きることができる。また、山河という空間の文脈につらぬかれて初めて町は息づく。そのとき町は、山河によって証せられ、揺るぎない存在感を獲得する」

 

風景について① 風景には品位がなくてはならない

1 風景と景観

 

街の景観や風景というのは、その街の人々の歴史の軌跡であるといえる。

だからこそ深い価値がある。

 

そもそも景観と風景とは同じ意味の言葉なのであろうか。

金田章裕さんの「景観からよむ日本の歴史」によれば、風景は「個人的な印象などを通した意味合いで使用されることが多い」のに対し、景観は「対象を客体として表現する際に使われる」言葉である。

ちなみにその景観も人がつくった景観である「文化景観」と、人工が加えられていない、本来の自然のままの「自然景観」に分けられる。

 

このようにある景色に対して、主観的に鑑賞するアプローチと客観的に分析するアプローチがあるのである。

 

中村良夫さんの「風景学入門」という本がある。

この記事はここから、この本を参照していこうと思う。

「風景学」とは聞き慣れない言葉であるが、風景というものは学問として体系的に究めることのできる奥深い分野なのである。

 

風景とは地に足をつけた人間の視点から見たものでなければならない。

飛行機の上から見たものを風景とはいわない。

地上の風景は遠近感が豊かであり、「人間は、辺りの物の拡がりに拠って、逆に自分がここにいるという定位感覚を授かっている」のである。

「自分の実在にかかわるほど大事な遠近感覚の本質が地上で見た大地の視覚像の性質にあるなら、人が地に足をつけて生きているというこの『投錨』的事実の重みがあらためて浮かびあがってくる」

 

2 風景の品位

 

風景の設計においては、一つの建築物や橋が「辺りの風物との視覚的な結縁のいかんによって風景としての面目をがらりと変えてしまう」ということが起こる。

だから自己主張の強いものがあるだけで、その風景のバランスは崩れてしまうのである。

「新しい生活の用が性急につくりあげた道具類には往々にしてこの手のものがある」と本書ではいう。

例えば「勝手気ままな看板の氾濫」を例に挙げているが、それを「喧騒と自己主張の横溢でしかない」としている。

 

「我を空じたところに品位が生まれる」のであり、「群れとしての秩序感覚を欠いたバラバラな街並みは、自然なようでいて、じつは社会的生命現象の水準において不自然なものである」といえる。

本書では風景における物と心について、「縁起の原理」

という言葉で説明している。

【名著要約】東京の空間人類学 ちくま学芸文庫 陣内秀信

本書では東京という都市の成立が歴史学的に解説されている。

東京は江戸以降水都としての発展を遂げてきた。

その名残は今も随所に残っており、現代まで引き継がれている。

 

1 「山の手」の表層と深層

 

近代の都市計画がそれぞれの土地が持つ固有の条件を無視して進められたのに対し、江戸の町では「〈場所〉がすでにもっている〈文脈〉を大事に計画、設計するという考え方」が根底に見られた。

 

「江戸の町は、山の手の武蔵野台地、すなわち山の辺と、下町のデルタの造成地、すなわち水の辺という豊かな自然条件の上に発達し、様々な都市機能をしかるべき場所に巧みに配置した」

そして山の手では「武士の〈屋敷を構える意識〉」が、下町では「町人の〈店を構える〉意識」がそれぞれ存在していた。

 

また江戸の都市設計では寺社の配置が計画的に行われており、例えば江戸の三大寺である浅草寺と東叡山寛永寺増上寺は江戸の町を取り囲むように高台に配された。

「これらの寺院は、しばしば重要な街道の入口付近に集められ、都市の防御の役割をもになったばかりか、その門前に〈盛り場〉を発生させることから、都市の拡大・発展を促進する役割をも果たした。江戸では、都市の拡大が何段階にもわたっているため、結果として寺院群が層状に並ぶことになった。市街地に取りこまれた寺院が外側へ移転する場合には、都市の中でのゾーンが意識されていて、放射線をそのまま外へ延長した方向へ出ていくことが多かったようである」

 

そして東京の近代における都市形成では、近代以降に生み出されたものはむしろ少なく、「江戸の都市環境を財産として活用しながら、その上につくられた要素が圧倒的に多い」ことが指摘される。

「明治以降の大邸宅が小規模な大名屋敷や旗本屋敷のイメージを受け継いだとすれば、今日の東京のどこにも見られる庭付き独立住宅は、まさに下級武士の屋敷の流れを汲むものといえよう」

 

2 「水の都」のコスモロジー

 

江戸の町では「山の辺」と「水の辺」に名所が作られ、盛り場へと発展していった。

「江戸では、市街地の周縁部に、しかも自然の要素と結びつきながら宗教空間が成立したのである。すなわち、山の手では武蔵野台地の〈森(緑)〉が、一方、下町では海や河川の〈水〉が明らかに神聖な場所として考えられ、宗教空間を生み出した」

 

「都市の拡大・発展とともに、江戸市民にとっての文化的、遊興的空間は、政治・経済の中枢、さらには日常の生活空間から離れて、自然と接する解放感に溢れた都市の周縁にもっぱら形成された。このような偏心的な都市構造は、幕府の都市政策によって生み出されたという側面があるものの、それ以上に、日常と非日常を巧みに使い分ける、日本の文化に内在する本質的な特徴というべきであろう」

 

さらに水辺では、水運と結びついた市などの経済活動が展開され、そこに盛り場が生まれた。

日本橋の川にかかる橋のたもとの水辺に成立した日本橋や江戸橋、隅田川の水辺などである。

隅田川の水辺空間や江東の水郷は、密集した市街地に住む江戸市民の行楽欲をかりたて、そのことがまた社寺の門前や橋詰の広小路に生まれた盛り場の発達に拍車をかけたのである」

 

1923年の関東大震災により、水と結びついた盛り場は衰退して江戸情緒は奪われてしまった。

しかし大正末から昭和にかけて、水辺の空間は別の意味を帯びるようになっていく。

「欧米から取り入れられた都市思想にもとづき、新たな都市美を創り出す格好の舞台として、東京の水辺の空間が脚光を浴びたのである。そこにもやはり『水の都』江戸の都市構造を引き継ぎ展開させたという町づくりの上での連続性を見てとることができよう」

 

3 東京の都市設計

 

現代の都市計画では、ときに冷酷な改造が企てられることがある。

しかし都市計画は、「身体感覚の次元から再考していく必要」がある。

「近代日本の歴史をふり返ってみても、我が国の都市に西欧的に造形された広場や壮麗な並木道をストレートに持ちこんでも、それだけでは決して活力のある面白い空間にならなかったことは明らかである」

 

日本の都市は自然と共存してきた。

それを前提としてまちづくりも進められた。

「自然にとり囲まれている場所が好んで絵に描かれたのであり、東京の景観を歴史的にたどってみると、自然を除去して人工的につくられたものだけで成り立つ都市美というものはほとんどなかった」

 

東京の下町のあちこちに橋詰広場が存在する。

広場という概念は震災復興期に定着したが、いわゆる西欧的な広場ではなく東京という文脈の中での広場が実現した。

そうしてできた橋詰広場が、多少の改造を受けながらも今に残っているのである。

江戸の頃から「水の都」として発展してきたからこそ、橋のたもとには優れた建築が集まって、それが橋詰広場の発展につながったのである。

 

自然環境の破壊、町の個性の喪失を受けて、都市設計の考え方が見直され始めている。

そして模倣すべきモデルを海外から探し出すのは簡単なことではない。

だからこそ見直すべきは、江戸から続く東京の生活、景観などである。

「町の個性を演出する要素としては、むしろ、明治以降の西欧化、近代化をおし進める都市計画の網の目から抜け落ちながらも、人類学的構造ともいうべき根強さを示し、土着的な次元で今日まで綿々と生き続け、実際の都市に魅力を与えてきた場所や都市空間が注目されるという逆転現象さえ見られるようになっている。すなわち、鎮守の森、水や緑に接する名所、掘割、河原、土手といった自然の要素と結びつく場所、あるいは町並み、路地のような生活の場、さらにまた盛り場、界隈といった刺激に富み都市に活力を与えるいかにも日本的な空間など、従来の都市計画ではほとんど問題にされなかった対象に関心が向けられ始めている」

【名著要約】無意識の構造 河合隼雄 中公新書

人間の心の奥底には無意識の領域があり、そこは各自が思っているよりも複雑で奥深い世界になっている。

ユング派の心理療法家である河合隼雄が、その無意識についてまとめたのが「無意識の構造」である。

 

1 無意識へのアプローチ

 

耳が聞こえなくなったというある女性が治療者のもとへ診療を受けに来た。

治療者は最初筆談で彼女とやりとりしていたが、途中で治療者が口頭で質問すると、不思議なことに彼女はそれに応答するようになる。

 

決して彼女は仮病を使っているわけではない。

彼女の耳が聞こえないのは器官の障害ではなく心理的な問題であり、彼女がリラックスしている時は音が聞こえるのである。

しかし心の古傷の痛みによって、耳が聞こえないという症状が発生するのである。

無意識はときに、このような不思議な症状を起こすことがある。

 

無意識に秘めている感情は、ときに人への行動にも現れる。

自分の劣等感を救ってほしい願望を他人に投影して、他人をやたらと救いたがる人がいる。

これを「メサイヤ・コンプレックス」という。

「このような人は、気の毒な人の救済に力をつくしていると信じているが、実のところ、救済される側の人がおのれのメサイヤ・コンプレックスの解消のための救済者であることを知ることは少ないようである」

 

自分の影を他人に投げかけることで、その他人を攻撃しようとする人もいる。

そのような人は「投影のひきもどし」を行わなければならない。

それは「A(他人)の生き方を攻撃したりすることではなく、Aに投げかけた自分の影を自分のほうに引きもどして、自分の無意識にある傾向を、どのように生きるかを考える」ということである。

 

「影の肩代り」というものもある。

仏のような人格者の父親を持つ少年が非行少年になった場合が挙げられているが、それは「親の影を子どもが肩代りさせられている」ということだ。

「親のあまりにも『影のない』生き方が、子どもに肩代りを要請するのである」

 

心的エネルギーが無意識から意識へと向かうことを進行といい、逆に意識から無意識へと向かうことを退行とよぶ。

心的エネルギーには「エネルギー保存の法則」が働いており、退行により失われたかに見えるエネルギーは、無意識のどこかに貯蓄されているとされる。

 

「退行状態になると、この人は外見的にはただぼんやりとしているだけであったり、幼児的なばかげた行動をしたりする。しかし無意識内においては仕事が行われていて、自我のそれまでのはたらきと無意識のはたらきとが統合され、定立と反定立を超えた、統合的なシンボルが顕現されてくる。それは創造的な内容を持ち、それに伴われて心的エネルギーは進行を開始し、自我は新たなエネルギーを得て活動することになる」

 

2 イメージとシンボル

 

夢というのは意識と無意識の相互作用によって生じる。

夢で表出するイメージからその人間の無意識を判断することがあるが、それは複雑な分類が行われなくてはならず、単純な結論で片付けてはならない。

「何事によらず、善悪の判断によって簡単に分類してしまうことは、ある意味では楽であるが、そこに豊かさが欠けることは否定できない。しかしながら、よく考えてみるとわれわれは、案外単純な同定を心の中で多く行っていることも事実である。そのときに、簡単に同定されている、勤勉=善、怠惰=悪、といった類のことを、すこしずつ分析して、ニュアンスに富んだ分類へと変化せしめてゆくことが、心理療法の狙いのひとつであり、精神分析などという用語も、このような点から生じてきたものと考えられる」

 

人々が無意識の中に抱いているイメージは神話や昔話において現れる。

そのため神話や昔話には、世界中で共通するパターンがある。

例えば母親という個人的存在を超えた「母なるもの」という普遍的な存在である。

「われわれ人間は、その無意識の深層に、自分自身の母親の像を超えた、絶対的な優しさと安全感を与えてくれる、母なるもののイメージをもっている。それは外界に投影され、各民族がもっている神話の女神や、崇拝の対象となったいろいろな像として、われわれに受けつがれている。ユングはそれらが人類に共通のパターンをもつことに注目し、母なるものの元型が人間の無意識の深層に存在すると考えた」

 

神話や昔話には世界中で共通するパターンもあれば、国や地方で差があることもある。

ソ連の学者が自分の孫に浦島太郎の物語を話してやった時に、竜宮城の美しさの描写を話しても興味を持たれず、いつ戦いが始まるかを楽しみにしていたという。

このように西洋と東洋というだけで大きな違いがある。

 

人は言葉で表現できない何かを象徴させるためにシンボルを使う。

例えば禅宗においては、心は円相というシンボルで表現される。

「イメージとシンボルは、われわれの体験の言語化しがたい部分を、生き生きと描き出してくれる。それゆえ、イメージやシンボルは人間の無意識の探求には不可欠の素材なのである。われわれはそれらを通じて無意識を知るべく、その特性をできるかぎり言語化し、意識化することに努めるのであるが、それによってもなお常に把握し残された部分のあることを忘れないと同時に、言語化を焦りすぎて、それらのもつ生命力を奪ってしまうことがないようにも注意しなくてはならない」

 

3 東洋と西洋の自己

 

ユングは以下のように述べ、自己を人間の意識も無意識も含むものとしている。

そこには東洋思想からの影響があった。

「自己は心の全体性であり、また同時にその中心である。これは自我と一致するものでなく、大きい円が小さい円を含むように、自我を包含する」

 

またユングの自己に関する認識として次のような話もある。

「かつて、ユングに対して、自己ということを、『もっと具体的に見えるもので、なになのか言って欲しい』と迫ったとき、彼は「ここにおられるすべてのひと、皆さんが、私の自己です」と言ったという。このことは、自己実現ということが、いかに自分個人だけのことではなく、他の人びととのつながりを有するものであるかを端的に示している」

 

本書では西洋人と東洋人の自己の違いについて説明されている。

「西洋人は自我を中心として、それ自身ひとつのまとまった意識構造をもっている。これに対して、東洋人のほうは、それだけではまとまりを持っていないようでありながら、実はそれは無意識内にある中心(すなわち自己)へ志向した意識構造を持っていると考えられる」

「自分の無意識内に存在する自己へと志向することは、実のところ至難のことなので、日本人の多くは、その自己を外界に投影し、そのためならば、命を棄ててもよいという考えになってしまう」

 

戦争で日本人の兵士が勇敢でありながらも、捕虜になると敵国のために日本に不利なことも平気でしてしまうことが西洋人には不可解であったらしい。

「これは、自己が天皇に投影されているあいだは、そのために死のうとするのであるが、捕虜となったときは、その投影はまったく壊れたわけであり、そのとき、彼が親切にしてくれた敵方の将校にでも自己の投影を向けとき、事情は一変するのである」

 

日本の昔話には、西洋の昔話ほど結婚というテーマが多くない。

「日本人の自我が無意識から独立した存在として確立されておらず、自己との漠然とした結びつきの中で安定しているということと関連しているように思われる。西洋人の場合、一度は分離された自我と自己が、それを結ぶ仲介者としてのアニマ(アニムス)を必要とするのに対して、日本人の場合は、それを必要としないとも言えるだろう。あるいは、日本人にとって、自我の確立した男性と女性が同一の地平において会うことは、ほとんど不可能といっていいのかもしれない」

 

ユングは自己の象徴が幾何学的な図形によって表されることに気づき、彼はそのような図形が東洋の密教におけるマンダラ(曼荼羅)と同様のものであることを知った。

「自己はすなわち世界であり、それを表現することは、世界観を示すことにもなる」

「まずこれは、マクロの世界とミクロの世界の対応を示している。先に自己はすなわち世界であると述べたが、人間の内界としてのミクロの世界は、宇宙的なマクロの世界と思いのほかに対応しているものだ。外輪がマクロの世界とすると内輪はミクロの世界であり、注意深く見ると、内輪には外輪にある内容が上下逆転してそのまま描かれていることが解る」

 

本書では国際交流の中で「東洋と西洋のぶつかりあいの中から生まれてくる新しいシンボルを見いだす」ということができるのではないかと締められている。

日本人は個性化を目指すうえで西洋をモデルにするのは難しいと思われる。

「結局は日本人としての個性化という点で、自ら考え自ら生きることが重要であると思われる」

【小説・映画】「コンビニ人間 村田沙耶香」

主人公の古倉は彼氏なしの36歳で、コンビニバイトを18年している。

いわば社会の普通からはみ出た存在である。

 

この小説では、普通という概念が多く登場する。

そこがこの小説のリアリティであり、実際に世間には結婚や年収という点から人間を普通と異質に分ける人が多い。

誰しもが周りから異質な目で見られて排斥されるのを嫌って普通でいようとする。

 

おもしろいのは婚活目的でコンビニバイトを始めるがクビになり、その後古倉と同棲を始める白羽という男の存在である。

彼も古倉と同じく普通からはみ出た存在であるが、古倉と違って自分の異質さを理解している。

だから自分という存在を世間に隠し続けることを古倉に頼むのである。

 

彼は普通でなければ排斥される世間の論理を憎みながらも、それと同じ論理で古倉を攻撃する。

世間体に苦しんでそれを憎んでいる男でさえ、それと同じ論理を人への攻撃に使うというのは皮肉が利いている。

結局その論理をいくら憎もうがそこからは抜け出せないところに現代人の悲劇があるといえる。

 

その白羽の影響を受けて古倉はコンビニバイトを辞めて普通の道を選ぼうとするが、自分が入ったコンビニで体が勝手に動き始めて業務を行っていた。

そこで自分にはコンビニしかないことに気づき、再びコンビニバイトへと戻っていくのである。

 

このラストをハッピーエンドととるか、バッドエンドととるかは人により異なるだろう。

この小説でコンビニバイトの仕事は、マニュアル化された効率重視の現代社会の象徴とされている。

普通の生き方を捨てて社会の歯車のなる道を選んだバッドエンドと見ることもできるだろう。

 

しかし古倉にとってコンビニバイトという選択は、そのような後ろ向きなものであろうか。

「この手も足も、コンビニのために存在していると思うと、ガラスの中の自分が、初めて、意味のある生き物に思えた」

「私の細胞全てが、ガラスの向こうで響く音楽に呼応して、皮膚の中で蠢いているのをはっきりと感じていた」

 

古倉はそこに生きがいを見出しており、少なくとも普通という他人軸に縛られている世間の人々よりも実は幸せなのではないか、とそんな気もしてくる。

いずれにせよ、安直な答えを示さずに解釈を分けてくるところも、この作品の名作たる所以であると思われる。

酒を飲むということ② 三田三郎「よいこのための二日酔い入門」

歌人の三田三郎さんが書かれた「よいこのための二日酔い入門」という本がある。

前回の記事で酒を飲みに行くことの楽しさを書いたが、この本では酒を飲みに行った末に泥酔することの楽しさに触れている。

僕は泥酔する前に飲むのをやめてしまうから、そんな僕からしたら未知の領域に踏み込んでいる本であった。

 

この本を書かれた三田三郎さんはしょっちゅう泥酔されているらしい。

そして泥酔すると誰彼構わず土下座をする癖があるが、本人は全く記憶がないとのことだ。

また階段から転げ落ちて頭部を負傷したこともあるらしい。

 

それをふまえたうえで、この本では本来悪いこととされる酒での泥酔ということについて、その必要性をロジカルに説いたものである。

ロジカルでなければただの屁理屈で片付けられてしまいそうな論題だが、この本では見事に屁理屈から芯の通った主張へと昇華されている。

 

著者は「泥酔の経験は人間を謙虚にする」という。

泥酔すると普段の自分とは違う自分が現れる。

そして本人は、「自身に潜む制御不能な他者の存在を否応なしに意識させられる」のであり、「自らの内に他者が存在することを意識し、決して自分が自分の全てをコントロールできるなどと思うな」という教訓を得るのである。

 

また泥酔とは死と隣り合わせであるから、「死の危険に晒されつつもたまたま生かされたという僥倖に気付いた人間は、必ずや自らの命に感謝することだろう。

こうした経験もまた、人間を謙虚にしてくれる」のだそうだ。

 

この本では「人間は酔うと本性が出るから飲酒はよくない」という一般的な主張に対しても反撃が展開されている。

そもそも「人間は酔うと本性が出る」「人間の本性は醜い」ゆえに「人間は酔うと醜くなる」という三段論法に無理がある。

酔うと本性が出るというのは恣意的な解釈に過ぎないし、人間の本性が醜いというのも「大きく偏った人間観を出発点としている」のである。

 

泥酔するまで酒が飲めない僕としては、分かる部分と分からない部分があるのが本音だが、この本では最後に酒を飲んで記憶をなくすことが苦痛を和らげてくれるということが書かれてあって、そこには大いに賛同できた。

 

「私は多種多様な苦痛のコレクションを保有しているので、それを少しでも減らすために酒の魔力を利用する必要があるのだ」

 

結局人が酒を飲むのは、普段抱えている苦しみから解放されて少しでも楽しい気分に浸りたいからである。

この世にストレスが存在しないなら、酒など誰も飲まないかもしれない。

酒を飲むということ① 行きつけのバーを見つけよう

よく仕事終わりや休日に行きつけのバーに飲みに行くようにしている。

といっても僕はお酒は全然強くないし、お酒自体はそれほど好きなわけでもない。

ただ酒の席が好きなのである。

 

バーをはじめとした酒場においては、立場や肩書きというものが無効化される。

そこではめんどくさいしがらみや上下関係もない。

 

それだけではない。

酔っ払うという状態が好きなのである。

 

日本人は特に普段から本音を押し殺さなければならないことが多い。

そしてスマートに大人らしく振る舞わないといけない。

 

もちろんそれが正しい姿なのかもしれないが、それにしてもたまには本音をさらけ出して羽目を外すくらいじゃないと潰れてしまう。

そういう意味で酒の席では多少は羽目を外してもいい。

(限度はありますが)

 

そして僕が酔っ払うだけでなく、同じ場にいる他人が酔っ払うところを見るのが好きなのだ。

変にかしこまって窮屈そうにしているより、酒の力を借りて饒舌になっているときの方が、人間の自然の姿を見ている感じがするのである。

 

行きつけのバーを作るのをおすすめしたいが、しかし注意点も多い。

まず常連以外の人は入りにくい空気の店がたまにある。

1人でしっぽり飲みたければいいのだが、僕のように他の人と話したいのであればそういうところは回避すべきである。

 

また店員は話してくれるけれど、カウンターの他の席の客とはしゃべる空気じゃないところもある。

それを避けようと思えば、店員が1人でカウンター席の席数が多すぎないところがおすすめである。

そうであれば店員も全ての客と話すことができず、自然と客どうしで会話が生まれる。

そして客の人数が多すぎない方が、その場にいる全員で盛り上がりやすい。

 

とはいえその店の空気なんて行ってみないことには分からない。

とりあえず難しいことを考えずに気になったところに足を運んでみるといいかもしれない。

合わないと思えばもう来なければいいだけのことである。