【名著紹介】夜と霧 新版 V・E・フランクル みすず書房①

「夜と霧」は、ユダヤ人であった心理学者のフランクルが、第二次大戦時のナチスによる強制収容所での体験を述べたものです。

どのような非道な行いが行われていたかということよりも、それに対して収容されている人たちがどう考え、どのように反応したかに重点が置かれています。

なのでこれはただの歴史上の記録ではなく、人間とは何かという根源的な問いに向き合った名作として知られています。

 

1 第一段階「収容」

 

これから収容されるという段階で、被収容者たちの頭には意外にも絶望だけでなく希望にすがる気持ちが生まれます。

恩赦妄想というもので、死刑囚が死刑執行の直前に「自分は恩赦される」と思い込むのと同じ精神状態です。

 

しかし、やがて自分たちがどうしようもない状態にあると悟ると、「第一段階のクライマックスにおける心理的反応」をします。

それは、それまでの人生をすべてなかったことにすることです。

 

それでも、このような中でも被収容者たちはマイナスの感情だけでなくユーモア、さらに好奇心といった感情を抱きます。

「世界をしらっと外からながめ、人びとから距離をおく、冷淡と言ってもいい好奇心が支配的だった。さまざまな場面で、魂をひっこめ、なんとか無事やりすごそうとする傍観と受身の気分が支配していたのだ」

 

絶望的な状況の中で、無理矢理でも被収容者たちはその状況に適応していきます。

「人間はなにごとにも慣れることができるというが、それはほんとうか、ほんとうならそれはどこまで可能か、と訊かれたら、わたしは、ほんとうだ、どこまでも可能だ、と答えるだろう。だが、どのように、とは問わないでほしい…」

 

この最初の章では、人間の心理とは複雑なものであるということが分かります。

例えば絶望的なことを告げられるとそれに対して人は、微笑むという反応をすることがあります。

フランクルいわく、「異常な状況では異常な反応を示すのが正常」だということです。

 

2 収容所生活(1)

 

やがて被収容者たちは、自分の感情をなくしていきます。

絶望的な状況では、そうでないと自分の心を守れないのです。

「感情の消滅や鈍磨、内面の冷淡さと無関心。これら、被収容者の心理的反応の第二段階の徴候は、ほどなく毎日毎時殴られることにたいしても、なにも感じなくさせた。この不感感覚は、被収容者の心をとっさに囲う、なくてはならない盾なのだ」

 

興味深いことに、こういう状況で人にとって最も辛いのは肉体的苦痛よりも、「心の痛み、つまり不正や不条理への憤怒に、殴られた瞬間、人はとことん苦しむ」のだそうです。

そのため「殴られることのなにが苦痛だと言って、殴られながらあざけられること」であり、「暴力やその肉体的苦痛ではなく、それにともなう愚弄が引き金になる」のです。

 

このように自分の感情を失くし、尊厳を傷つけられることに絶望を感じながらも、一方で被収容者たちは宗教に関心を持ち、フランクルも愛というものの価値に気づいて新しい境地に達します。

ここは名文なので以降はひたすら引用します。

「愛は人が人として到達できる究極にして最高のものだ、という真実。今わたしは、人間が詩や思想や信仰をつうじて表明すべきこととしてきた、究極にして最高のことの意味を会得した。愛により、愛のなかへと救われること!人は、この世にもはやなにも残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれるということを、わたしは理解したのだ」

 

また、生きているかも分からない自分の妻に関して、「愛する妻が生きているのか死んでいるのかは、わからなくてもまったくどうでもいい。それはいっこうに、わたしの愛の、愛する妻への思いの、愛する妻の姿を心のなかに見つめることの妨げにはならなかった。もしもあのとき、妻はとっくに死んでいると知っていたとしても、かまわず心のなかでひたすら愛する妻を見つめていただろう」と述べています。

ここまでくると、実際にこの状況におかれた人にしか分からない異次元の境地かもしれません。