【名著紹介】愛するということ エーリッヒ・フロム 鈴木晶訳 紀伊國屋書店②

 

5 現代の愛の問題

 

 

フロムは愛の問題について、愛が先か性的快楽が先かという問題提起をしています。


性的満足を満たすことで愛が生まれるというのが現代の常識であり、それは心理学者のフロイトの理論を基本としています。
フロイトは、人間のあらゆる感情が性的欲求から生じるものであって、それさえ満たせば幸福を得られると説明しました。
フロイトの理論からすると、フロムのいう成熟した愛など存在しないことになります。

 

この理論のことをフロムは、欲望の充足に重きを置く現代の資本主義社会だからこそ流行した誤った考えだと述べています。
フロムからすれば性的満足とは愛の結果であり、愛が先にあるものなのです。

 

正しい性行為のテクニックを学べば性的欲求を満たすことができ、その結果愛も満たすことができるというフロイトの理論が誤っていることを証明するために、フロムは次のような説明をしています。
それは性的障害の原因は性的テクニックのなさにあるのではなく、異性に対する恐怖や憎悪から人を愛することができないことにあるということであり、フロムは研究からそのことを明らかにしたのです。

 

人々の愛に対する誤解としてフロムは、「愛があれば絶対に対立は起こらない」ということも挙げています。
対立とは決して破滅的な結果をもたらすような良くないものであるとは限らず、お互いの尊厳を認め合ったうえでの対立はむしろ2人の成長という良い結果をもたらします。

 

現代においては人への愛だけでなく、神への愛も崩壊しました。
宗教の退行によって人々は、「原理や信仰を失って、不安におびえ、前進する以外に何の目標もない」という状態に陥りました。


かつて人々は神への信仰から生じた原理に忠実に生きていましたが、現代の人々は物質的な安楽と市場での成功のためだけに生きています。
神への信仰や祈りがあったとしても、その目的は自分の社会的な成功であり、特に理由もなくその目的を追い続けているのです。

 

 

6 愛の習練

 

 

人を愛することができるようになるには高い精神性が必要ですが、そのような人間が賞賛されることは少なくなりました。
精神性が廃れた現代社会について、「成熟した人生とはどんなものなのかという青写真をいきいきと保っていないと、私たちの文化的伝統は全面的に崩壊してしまうかもしれない」とまでフロムは述べています。

 

また愛の達成のためにはナルシシズムを克服する必要があります。
そのナルシシズムの対極にあるのが客観性です。
そしてその客観性を身につけるためにも常日頃からの修練が必要です。

 

さらに愛の習得のためには「信じる」ということ、信念を持つことが不可欠です。
「信じる」というと理性とは反対の概念のように聞こえますが、自分の経験や思考による確信に基づいた「理にかなった信念」というものがあり得ます。
その反対は「根拠のない信念」であり、権威や多数派の言うことだからというだけで従ってしまうというのがそれにあたります。

 

他人を愛せるようになるには、確信をもって自分自身を信じていなければなりません。
自分が他人に与えられるだけの愛を持っているという自信がないことには、他人を愛することもできなければその勇気も湧いてきません。


「人は意識のうえでは愛されないことを恐れているが、ほんとうは、無意識のなかで、愛することを恐れている」のであり、自分の中にある信念を心から信じることができていないと、相手の心に愛を生み出すことに臆病になってしまいます。
そして自分を信じられるようになるには確信に基づいていなければならず、その確信は日常の修練によって自分の信念や愛を高めることで得られるのです。

 

自分だけでなく他人、そして人類の可能性までをも信じるべきであり、それも願望ではなくて自分の経験や理性から来る確信に基づいているべきです。
このように「理にかなった信念」は、自分自身の確信と強い勇気が必要です。


これに対して権力への服従に向けられる「根拠のない信念」は、自分の中に信念がないからこそ生じる態度だといえます。
そして自分の信念で生きていこうという勇気もないため、権力者に全てを委ねてしまうのです。

 

 

7 資本主義と愛の両立

 

 

現代の発達した資本主義社会では、誰もが自分の利益を優先しないわけにはいきません。
そんな社会において、フロムのいうような愛と自分の生活を両立させることは可能なのでしょうか。


その問いにフロムは、「資本主義の原理が愛の原理と両立しないことは確かだとしても、『資本主義』それ自体が複雑で、その構造はたえず変化しており、いまなお、非同調や個人の自由裁量をかなり許容していることも、認めなければならない」として、部分的には両立が可能だという答えを出しています。

 

しかしそうはいっても現代社会では、人々が大衆操作によって操られて生産と消費のために生きているということは事実です。
フロムは社会構造を変えることの必要性を認めており、具体的な方向や手段は述べていませんが、「人を愛することができるためには、人間はその最高の位置に立たなければならない。人間が経済という機械に奉仕するのではなく、経済機械が人間に奉仕しなければならない。たんに利益を分配するだけではなく、経験や仕事も分配できるようにならなければいけない。人を愛するという社会的な本性と、社会的生活とが、分離するのではなく、一体化するような、そんな社会をつくりあげなければならない」と目指すべき社会を説明しています。