【名著紹介】孫子 浅野裕一 講談社学術文庫①

古代中国の軍略家である孫子の思想は「孫子の兵法」として知られており、この本ではその原文と解説が載せられています。

孫子は日本をはじめ古今東西の武将や戦略家に影響を与えました。

現代でも孫子の思想から発想を得るビジネスパーソンは多いようです。

戦争における勝利の方法が述べてある孫子は国際政治の視点から見ることもできれば、ビジネス論としても優れていて汎用性の高い内容となっています。

 

1 戦わずして勝つ

 

孫子の基本的なスタンスは「戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」という言葉に代表されるように、軍隊を衝突させて犠牲を払って勝つよりも、損害を出すことなく勝つべきだというものです。

あくまで目的は敵国の意図を挫くことであって戦争ではありません。

そのために必要なのは事前の謀略や外交であり、戦争というのはそれが上手くいかなかった場合の最終手段にすぎません。

 

戦争をしてはいけないなどというと、孫子を理想主義者、平和主義者のように思う人がいるかもしれません。

しかし彼の思想はむしろ現実主義に貫かれており、その立場から戦闘を避けることや外交の必要性を述べているのです。

 

孫子は「兵とは詭道なり」、つまり「戦争とはだましあいである」という言葉を残していて、そこから彼がきれいごとをいっているわけではないことが分かると思います。

孫子からすれば敵に偽の情報を流したり、弱点につけ込んで罠にはめるということは肯定されるべきで、勝利とは華麗なものである必要はないのです。

 

理想的な勝利とは戦う前から自軍が勝てる状況にもっていくことであり、そのような勝ち方は地味であまり目立ちません。

世間の人々が好むのは、ぎりぎりのところでの形勢逆転や誰も思いつかないような奇策での勝利といったものです。

しかしそのような勝利は面白いかもしれませんが際どい勝利であり、孫子の好むところではありません。

孫子からすれば、優れた智将とは人々から褒め称えられることはないのです。

 

2 敵を誘い込む

 

実際の戦闘でも戦いが起きる前から、いかに敵軍が態勢を崩して自軍が攻撃しやすくなる態勢を作ることができるかが重要になります。

 

そのためにも孫子は攻撃よりも守備の方を優先するべきだと述べており、その理由には3つあります。

1つ目は守備は自軍の努力次第で達成可能ですが、攻撃の成否は敵軍の動きに左右される部分が大きいからです。

2つ目は勝利することよりも敗北しないことに重きを置く孫子の思想からです。

3つ目は攻撃よりも守備の方が犠牲を少なくしてすむからです。

 

従来の孫子のテキストでは兵力が劣勢であれば守備に徹するべきだが、優勢であれば攻撃してもよいという解釈がされてきました。

しかしこの本によればその解釈は誤りであり、孫子はそれほど攻撃に重きをおいておらず守備にこそ価値があると考えていました。

 

そういわれると守備にだけ徹するというのはあまりに消極的であり、それでは永久に勝利など得られないのではないかと思うかもしれません。

しかし孫子にとっての守備とはただ敵の攻撃から自軍を守るという意味合いだけでなく、反撃の機会をうかがいながら、敵軍の態勢が崩れたらそこを素早く衝くという攻撃的な要素も含んでいました。

 

この本ではそのことを次のように解説しています。

孫子の説く守備の態勢とは、攻勢に出た敵の戦力がしだいに消耗する一方、守勢を取る自軍の戦力には余裕があるのを利用して、敵軍を敗北の態勢へと誘導する手を打ちながら、その時機到来を待ち構える積極的性格をもあわせ持つ。したがってそれは、単に消極的な守勢一方の態勢ではなく、いつでも攻撃態勢へと変化・移行しうるものである」

 

守備を上手く成功させるためには、敵の妨害を受けることなく自分の軍勢を展開させ、そこに敵軍を誘い込んで万全の態勢で迎え撃つことがベストです。

敵を誘い込むというのが重要であり、こちらから敵軍の近くへ向かって行くのは良い策とはいえません。

 

先に戦場で敵の到着を待っている軍勢と、戦場まで駆けつけて疲労している軍勢とどちらが優勢になれるかは考えれば分かると思います。

自軍が優勢に立っているという状況は、兵士の士気を上げるのにも大いに役立ちます。

当時の兵士のほとんどは徴兵された農民であり、客観的に有利な状況を作り出すことで戦意を高める必要がありました。

 

しかし敵軍を自軍のいる場所に誘い込むというのは簡単なことではなく、工夫が必要です。

例えば敵にとっての要地を攻撃する構えを見せれば、敵は阻止しようとこちらまで出向いてきます。

あるいは、わざと自分たちの要地を放棄して逃げる構えを見せれば敵はそこを奪うために出撃します。

いずれにせよ、敵軍を思うがままに動かすことができる方が勝ち、敵軍に思うがままに動かされる方が負けるのです。

 

3 軍の動かし方

 

守備ではなく攻撃の側にまわったとしても、敵を思うがままに動かすべきという原則に変わりはありません。

例えば兵力が優勢な敵に攻撃をしかける場合には、敵軍を分断させたうえで自軍の全兵力で各個撃破していくという戦略を孫子は提唱しています。

 

しかしそれを成功させるのは困難であり、敵軍に自分の意図通りに動いてもらう必要があります。

その手段としては別動隊を派遣して攻撃するように見せかけて敵軍を分散させ、それから別動隊と本隊を合流させて全軍で攻撃するというものが有効です。

 

それを実現させるには敵軍の態勢や状況を詳しく知ること、また自軍の意図を敵に悟られないようにすることが重要であり、意図が不明なために敵側に不安が生まれて兵力の分散を誘いやすくなります。

こちらは敵の意図をしっかり掴んだうえで操り、こちらの意図は敵にばれないように隠すというのは、いかなる状況であっても勝利のためには不可欠な条件です。

 

敵軍の情報を得るための手段としては敵軍の尾行、さらに敵軍と軽く接触することなどが挙げられています。

また自軍の意図を隠すためには、あえて意図とは異なる動きを見せることで敵を惑わすといった工夫が必要になります。

 

さらに勝利を収めたからといってそれからも戦闘のたびに同じような戦略を使ってしまうと、いずれ敵側に意図を悟られることになってしまいます。

古今の名将がどのような戦略で勝ったかを調べたうえで自分も真似をするというように、既存の方法に頼るというのも危険です。

 

事前に敵に勝てる態勢を整えることが大事であるとはいっても、戦闘中はいかなる事態が起きてもおかしくありません。

その際に水のように柔軟に自軍を変形させて、変幻自在に動かせるようでなければなりません。

そのため軍勢を率いる将軍は常に思考を続けなければならず、その緊張に耐えうるだけの精神を備えている必要があります。

 

戦闘では敵側の状況や心理、意図を察したうえで、こちらの動きを考えなくてはなりません。

例えば高地を占領している敵軍は目標を攻撃しやすいため、下方から攻めかけると不利になります。

また敵軍が逃げたとしてもそれは自軍をおびきだすための罠であるかもしれず、それは状況や地形から判断しなければなりません。

 

さらに敵軍を包囲する際は、完全に包囲してしまわずに一角を空けて逃げ道を作っておくべきです。

逃げ道がないと敵は死にものぐるいで反撃してくるので自軍にも大きな損害が出ますが、逃げ道を作ることでそれを防ぐことができるからです。