僕は中学生の時から司馬遼太郎の愛読者で、それから「竜馬がゆく」、「坂の上の雲」、「国盗り物語」、「峠」などいろんな小説にドハマりしていきました。
司馬遼太郎は僕の原点であり、最も影響を受けた人といっても過言ではありません。
この人の本を読んでいなかったら、かなり違う価値観や人生になっていたんじゃないかと思っているくらいです。
学生の頃に読み漁った司馬作品に出てくる歴史上の人物たちが、僕の生きていくうえでのロールモデルになりました。
彼が描く主人公は共通して単純明快な生き方をしています。
みんな自分の信念とか目的のために生きていて、それと関係のないことにはあまり興味がないのです。
だからくだらない私欲にとらわれることもないし、明確な目的があることで歴史に残る偉業も残せたのだと納得できます。
同時にそんな自分の目的のために身を滅ぼすに至る主人公もいるのが司馬作品の深さというか、おもしろいところかもしれません。
自分が信じた目的に向かって突き進んで、その結果として栄えようが滅びようがそれが人生の醍醐味であり、自分もそんな単純明快な生き方をしたいと思うようになっていきました。
司馬の執筆活動の原点は敗戦だったそうで、いつから日本人はこんな愚かな戦争を起こす民族になったのかという疑問からでした。
彼は昔の日本人はそうではなかったのではないかという問題意識のもと、歴史上の人物を描いていきました。
彼の描く人物たちには共通する思考があって、それこそ司馬が、日本人がなくしたと考えていた要素でした。
1つは合理主義です。
例えば「竜馬がゆく」で描いた坂本竜馬という人物は非常にリアリストで、イテオロギーではなくて経済の力で薩長同盟という偉業を成し遂げました。
また尊王攘夷が叫ばれている時代にアメリカの民主主義をとりいれようと考え、そのために幕府を倒そうと志しました。
観念で動く志士が多かった幕末にあって、現実的に何が必要か考えられる人物は珍しかったのです。
また「坂の上の雲」は日露戦争を描いた小説ですが、不可能と思われたロシアへの勝利を成し遂げた日本軍の合理的な戦略に注目しています。
日本軍はロシア相手に戦争することが無謀だと自覚していて、それをふまえたうえで戦略を立てて実行しました。
司馬はアメリカに勝てると信じて、戦略もなく戦争に突っ込んでいった昭和の日本軍と対比するためにこれを書いたのです。
2つ目は責任感です。
侍は自分の役割に文字通り命をかけ、それを果たせなかったら切腹をしなければなりません。
人権意識のある現代から見て違和感はありますが、昔はそれくらい責任というものには重みがあったのです。
幕末の長岡藩の家老、河井継之助が主人公の「峠」が、侍のそういう意識を上手く描いています。
河井は開明的な考えを持っていて、武士の時代が終わることまで分かっていたほど先見の明がある人物でした。
そんな彼が戊辰戦争では新体制である薩長に逆らって、長岡藩を率いて戦争を起こします。
奇妙な行動ではありますが、彼からすれば長岡藩は幕府からの恩が厚い藩であり、その立場から考えればそういう選択をとるしかなかったのです。
戦争を起こして多くの犠牲を出しているのですからそれを正しいというべきではないかもしれません。
しかし侍の責任感には、そういう善悪の概念すら超えてしまうほどの凄まじさがあったということです。
河井のように合理主義と武士としての責任感というものが矛盾しながらも内在しているパターンは、「国盗り物語」の斎藤道三にもいえます。
彼は戦国時代に下剋上で僧侶から大名までのし上がった男ですが、冷酷なまでのリアリストであるとともに、教養に秀でた人格者としての面もありました。
そしてこの2つの面を、道三の2人の弟子がそれぞれ引き継ぐことになります。
合理主義を引き継いだのが織田信長で、教養面を引き継いだのが明智光秀です。
「国盗り物語」の後半はこの2人の物語で、道三のそれぞれの面を引き継いだ2人はやがて本能寺の変で衝突します。
いわば道三の中の矛盾した要素が、彼の死後に本能寺の変を起こすという物語の構造になっているのです。
司馬遼󠄁太郎の歴史観は日本人に大きな影響を与えているため、その分批判されることもあります。
当然歴史研究は時代とともに新たな発見があるので、最近になって司馬の描いた信長や竜馬の人物像は少し違うのではないかという指摘もされます。
僕も司馬のことを尊敬しているとはいえ、彼の主張や描いた内容が必ず正しいというつもりはありません。
尊敬しているのとそれとは違う話です。
特に司馬は「坂の上の雲」をはじめとした作品で明治の日本を明るく前向きにとらえていて、暗くて陰険な昭和と対称的に描いています。
しかし近現代史を勉強すると、司馬が描くほど明治はいい時代だったのかと疑問に思うことがあります。
明治日本にも帝国主義的で強権的な部分が強くあり、むしろそれが昭和にまで引き継がれたのではないかと僕は考えています。
とはいえそれは解釈の違いであって、十分すぎるほどの文献と証拠からものを語っている彼の記述には強い説得力があります。
どの主張が正しいというのは答えのないことであり、ひとついえるのは、そこまで大きな問題提起をしてみせた司馬文学の計り知れないほどの奥深さです。