別の記事で自分なりの目的をもって生きることが大事ということを書いてきましたが、そんなに人生は甘くないという意見もあるでしょう。
子供の頃は大きな夢を口にできましたが、大人になると現実を見ろと笑われてしまいます。
たしかに世の中は厳しいもので、成功できるのは一握りの人間だけです。
しかしだからといって、自分の成し遂げたいことではなくて、生活することや食べていけることだけを考えないといけないかのような風潮は、人生を味気なくさせると思います。
大きすぎる夢でなくても実現可能な目的を持つことで、それらを調和させることもできるはずです。
そもそも世の中は悲観的な論調に満ちているように思います。
人生や社会が残酷で、思い通りにならないものであるということは否定しません。
しかしだから人生は楽しくないものだと考えるのではなく、だからこそ人生を楽しむ工夫をしようという考えに切り替えるべきです。
いわば悲観論ありきの楽観論です。
物事には二面性があるというように、反対の概念が同じものの中に共存しているということが起こりえます。
だから人生にも不幸、絶望という概念と幸福、希望という概念は相互依存しながら成り立っていると思うのです。
分かりにくいいい方をしましたが、いわば不幸を味わった人間にしか本当の幸福は分からないし、絶望を味わった人間しか希望を感じることはできません。
人生を否定するか肯定するかではなくて、否定しつつ肯定するという態度が許されるはずです。
この態度を1つの宗教にまで昇華させたのがお釈迦様ことブッダです。
僕は仏教とは人生の否定の先にある肯定だと思っています。
ブッダは「一切皆苦」という言葉で、人生のあらゆるものは苦であると説きました。
そして、だからこそそれを受け入れて生きていくしかないとしました。
最後に前向きな転換をしているからこそ、仏教は多くの人の心を捉えてきたのだと思います。
高杉晋作は幕末の長州藩士で、型破りな発想と行動力で明治維新に貢献した人物ですが、彼の辞世の句は 「おもしろき こともなき世を おもしろく」というものでした。
解釈は他にもあるようですが、「おもしろくない世の中だが、俺はおもしろく生きてやった」という意味なのだと思います。
高杉も世の中がおもしろくないものであることは認めているわけですが、そのうえでいかにおもしろく生きてやろうかというのが、彼の人生だったわけです。
世の中に悲観論が溢れているといいましたが、その中でも特に違和感があるのが「学生時代は人生の夏休み」といったような、社会に出る前や若い時が人生の楽しみのピークであるかのような言い方です。
いわばそれからの人生を苦しみだとして、最初から楽しむことを諦めているわけです。
そういう人は、年をとるほど人生は虚しくなっていくと考えています。
しかしそれは非常に損な考え方だという気がします。
年をとるにしたがって多くの経験をして多くのことを学び、人間が大きくなっていくと考えてもいいはずです。
それだけでは楽しいと思えないという人もいるかもしれません。
そういう人こそ、自分だけの人生の目的をもってみてはどうでしょうか。
そうすると年をとればとるだけ、自分のゴールに近づいていけます。
きっと年をとるのに比例して、幸福度もあがっていくことでしょう。
人生とは楽しいものではありません。
だからこそ楽しむ努力をしないといけないのです。