あえて自信を持たないという選択をしてみる

自信がないというのは基本的にマイナスのイメージを持たれますし、やっぱり自信がある人の方が魅力的に見えます。

しかし自信がないというのは必ずしも良くないことなのか、逆にいえば自信はあればあるほどいいものなのかということを考えてみたいと思います。

 

自信過剰という言葉もあるように、自分の能力を信用しすぎているというのも考えものです。

自分の能力の限界が分かっている人のほうが、慎重に物事を進めようとするから失敗を避けやすいです。

またそういう人の方が他人には謙虚でいられる可能性が高いです。

 

さらに自信がない人の方が、自分の考えに凝り固まることも少なくなります。

人生、特に若い時は、いろんな人と会っていろんな考えに触れることで人間の深みが生まれていくものです。

だから自分の考えというのは柔軟に変えていいと思いますし、正反対の意見を聞いてみようという姿勢を持つことは大切です。

しかし自分の考えに絶大な自信を持っているがために、そういう機会を逃している人をたまに見かけます。

 

幕末の英雄坂本龍馬は、株式会社や民主主義といった欧米諸国のシステムを日本に取り込んだことで知られていますが、そんな彼も最初は攘夷主義者でした。

外国のものを日本に取り入れるなど許されないという、当時の流行思想に染まっていた彼に「日本は開国すべき」と教えたのは、師の勝海舟でした。

 

2人が出会った時のエピソードは有名です。

幕臣勝海舟が外国と貿易をすることで日本を強くしようとしていると知った龍馬は、仲間とともに勝の屋敷まで彼を斬りに行きます。

勝は自分を斬りに来た龍馬らを座らせ、今の日本の状況を語ったうえで、「軍艦や最新式の銃を揃えた外国を相手に刀で立ち向かって勝てるわけがない」ということを主張しました。

龍馬は感銘を受け、その場で勝の弟子になります。

 

自分を斬りに来た相手を座らせて冷静に自分の思想を聞かせる勝も勝ですが、それを聞いただけで180度

考えを変えられた龍馬も相当の大人物であったことが分かります。

自分の考えを否定されるというのはおもしろくないですし、「何を偉そうに」と思ってしまうこともあるでしょう。

しかしそこで素直に聞いて受け入れてみる姿勢を持てたら、より深い考えに至ることができるはずです。

現に龍馬は、ここから志士として歴史に名を残す活動をしていくことになるのです。

 

とはいえ自信がないのと、自分を蔑むのは別のことです。

謙虚ではあるべきですが、卑屈であってはいけません。

謙虚な人というのは自分の未熟さを認めていますが、それでも自分という存在を否定することはありません。

「自分は成長途中だから間違いもあるだろうが、そういうことを経てちゃんとした人物になろう」というのが、謙虚な姿勢です。

 

一方で卑屈というのは、自分の考え方どころか、存在そのものも認められない態度です。

そういう人というのは成長もなければ、他人を尊重することもできなくなります。

自分に寛容でいられないと、やがて他人も自分に対してそうであるに違いないという思い込みをしてしまうのです。

正反対なようで、自信過剰な人と同じ傾向にあることが分かります。

この2つは紙一重で、どちらも他者に対して拒絶、見下しの姿勢があります。

 

自信というのは、適度に持つべきです。

ここの加減を間違えないことが肝心です。