経験によって得たものが最もその人にとっての財産になる、ということは間違いなく真理だと思います。
そう聞くと、読書というのは机上の学びであって無意味なもののように思えてきます。
しかし、それでも読書はするべきだということを強く主張したいです。
本の中には、ときに体の中に雷が走ったような衝撃を与えてくれるものがあります。
本を読むことで人生観が変わるということは実際にあることであり、僕なんかは本を読んでいなければ全く違う価値観で生きていたことでしょう。
しかし価値観なんてものは本を読まなくても、人としゃべる中でも醸成されていくはずだという意見もあるでしょう。
これは否定しませんが、限界があると思っています。
まずいろいろな性格、考えの人と知り合うことがベストですが、どうしても自分と仲良くなる人はどこか自分と似通ったものの考えをする人が多くなります。
だから目新しい価値観に触れる機会が少ないのです。
また、特に日本人はそうかもしれませんが、人はそんなに対話が好きではありません。
ここでの対話とは、自分の価値観を伝えて共有するということです。
しかし自分の価値観を伝えるというのはどこか恥ずかしいし、それが独創的であればあるほどそうです。
そもそも競争原理に支配された現代では、独創的な価値観を持ちにくくなっています。
過去の日本人、例えば江戸時代なんかをとってみても、各藩でそれぞれの教育がとられて多様な価値観が育まれていました。
それに比べると現代は、教育の至上命題は「勝ち組を育てること」にあります。
大事なのはいかにして世間体の中で優秀な人材になるかであり、自分だけの価値観など持つ必要もない無駄なものとなっているのです。
それを突き詰めると、大事なのは自分らしくあることではなく、いかに自分を殺して他人と同じになれるかが大事になってしまいます。
これは言い過ぎに聞こえますが、現代社会はそれくらいに窮屈で個性を出せない空気に支配されているように感じます。
誰しもどうやって成功するかということに目を奪われて、「そもそもなぜ成功しないといけないのか」、「成功したら幸せなのか」というそもそもの問いに目を向けません。
手段について熱く語る大人はいても、目的について熱く語る大人はそんなにいないように思います。
考えるだけ無駄なことだと思うかもしれませんが、根源の疑問を解くことをしないと虚しさが残ります。
では本を読めばその答えが見つかるかといわれれば、もちろん答えそのものは自分で考えて導き出すしかありませんが、そのヒントは無尽蔵に眠っています。
僕は自分の人生の目的を、読んだ本をヒントに考えましたし、人間はいかにして生きるべきなのかということも本から学ぶことが多かったです。
もちろん人との関わり、経験が大事であることはいうまでもありませんし、それがなければ人格は発展しないでしょう。
ただ本を読むのは、常識と違う視点を手に入れるのに役立ちます。