客観的になるために

能を大成したことで知られる世阿弥の言葉に、「離見の見」というものがあります。
これは演じる際には自分から離れた外部からの視点で舞台上の自分を見なければならないと戒めた言葉で、客観的に自分を意識することの大事さを教えています。


自分の性格を考える時にしても何かの問題に意見をする時にしても、客観的にその物事を見ることが大切であることはいうまでもありません。
しかしそうはいっても客観的になるということは難しいことで、感情や主義主張があるのだから人間が完全に客観的になることは不可能です。


それでもできるだけ客観性をもった人間になるためには、どうすべきかということを書きたいと思います。

 

ただその前に、客観的になるのが必ずしもいいわけではなく、その弊害もあるということを前置きしておきます。

 

客観的であろうとしすぎると、自分の感情が邪魔になり、自分の素直な気持ちに従えなくなります。

どうせ完全に客観的になれないのであれば、たとえ間違いだったとしても自分の感情に従って行動するべき時もあると思っています。

とはいえ独りよがりがいいわけではないので、適度に客観的であることを目指すべきというスタンスで、以下の文章を書きます。

 

客観的になるためにするべき1つ目は、多様な価値観に触れることです。
どうしても人間は自分の常識や偏見から離れることができませんし、それはしかたのないことだといえます。


それでも自分とは正反対の価値観や考えたこともなかったような価値観に触れる機会があればあるほど、もともとの常識や偏見が崩れてより俯瞰して物事を見れるようになるはずです。

そのためにはいろんな価値観、性格の人と関わった方がいいでしょう。


たまに自分と違う性格の人とは関わりたくないという態度の人がいますが、それは非常にもったいないことだと思います。
せっかく自分の価値観を広げてくれる出会いを自分から放棄しているからです。

そもそも人間はみんな違うものですし、自分と違う人とこそ関わろうという発想でいるほうが人生は豊かになるのではないでしょうか。

 

それでも普段関わる人は、どうしても思考や行動が自分に似ている人が多くなってしまうかもしれません。
そこでおすすめしたいのが読書です。
読書は有名なビジネスマンや専門知識のある研究者、さらには歴史上の偉人といった人たちの価値観をコスパよく吸収できるという意味で非常に効果的です。


読書が苦手な人もいるでしょうから、そういう人にはYouTubeをおすすめします。
YouTubeは名著を要約して説明しているチャンネルや、成功したビジネスマンの人生論を聞けるチャンネルなどがあり、上手く使えば勉強になるコンテンツです。

 

2つ目は「中庸」を意識することです。
「中庸」とは「過不足がなく調和がとれていること」という意味で、古代ギリシアの哲学者アリストテレスの唱えた概念でもあります。
アリストテレスは何事も極端であってはならず、中間に身をおくことが大事だと主張しました。
例えば「無謀」と「臆病」という性格を極端だと退け、その中庸である「勇気」こそ正しい態度だとしました。


実は仏教を始めた仏陀も、「中道」という言葉で似たようなことを主張しています。
何事も極論に至らず、常にバランス感覚をもって物事を判断することが大事だということです。

 

極論というのは聞いている時には不思議と説得力があるし、聞き心地がよく感じられるものです。
もし今ある課題を思い切り打破してくれる解決策があるとすれば、それが極論だとしてもとびついてしまうのが人間です。
その時に、その解決策によって今までとは真逆の問題が起こるということまで頭がまわらないのです。


例えば指導が厳しすぎて若手社員がすぐ辞めてしまう会社があったとして、このままでは駄目だと方針を180度転換して若手社員をできるだけ甘やかすことにしたとします。
そうすると社員が全然育たないのは当然ですし、そうならない程度に方針を転換するべきなのですが、その塩梅がどうしてもできないのです。


当たり前のことをいっているように思われるかもしれませんが、何かを解決する時に真逆の方へもっていけばいいというアプローチがされることはよくあります。

 

極論が受け入れられやすい理由として、極論を言っている人の方がかっこよく見えるということもあると思います。
白黒はっきりつけた言い方をする人の方が頼もしく見えるのは当然です。
逆に中庸の意見を言っている人は、どっちつかずで自信がないように見えてしまうのです。


しかし最も大事なのはあくまで事態をより良い方向にもっていくことであり、その時の印象だけで極論を正しいと認識するのは安易な態度だというべきです。
自分の主張がないのだとしたら問題ですが、中庸はそうではなくあくまでより良い正解を導き出したいという態度です。