人生100年時代の個人主義

人生100年時代」という言葉が使われるようになり、個人の生き方、働き方にも変化が見られるようになりました。
かつてのような終身雇用、年功序列が約束された時代ではなくなり、1つの会社にしがみついていられなくなって個人のスキルが求められるようになったのです。


それだけ不安定な社会になったということなのでこの潮流を褒めるべきかは分かりませんが、以前よりも個人の自由度が増えて好きに生きられるようになったことはたしかでしょう。
転職や副業も当たり前になり、自分なりの働き方を選べるようになった今の時代こそ、社会に「個人主義」を定着させる転機になりうるはずです。

 

日本は古来から良くも悪くも共同体意識が強い国なので、世間体を気にして他人と同じでないといけないという意識を嫌でも持たざるを得なくなります。
「こうでないといけない」というのが強すぎる社会であり、それから異なる存在になることでコミュ二ティから排除されてしまうという恐怖があるのです。


もちろん倫理や法律は守らなければなりませんが、生き方は100人いれば100種類あるのが当然です。
人生に1つの正解があってそれをみんなが目指さないといけないかのような構造には疑問を感じますし、過干渉や強制をもっと減らしてもいいのではないかと思います。

 

決してコミュニティや人のつながりがだめだといっているわけではなく、むしろそういうものは必要だと考えています。
しかしそこで個性が否定されることで自分を殺さないといけないのだとしたら、せっかくのコミュニティや人間関係がストレスになってしまいます。
大事なのは個性を認めあったうえでの仲の良さであり、お互いが違う考えをもった違う存在だと分かったうえで人とは関わるべきです。


これについては菅野仁さんの「友だち幻想 人と人の<つながり>を考える」という本が分かりやすく、私もこの本を読んでこの考えに至りました。
この本では学校での「みんな仲良くしなければならない」という先生の教えを「共同性の呪縛」と表現しています。
自分に合わない人もいるし、全ての人と無理に濃密な関係になる必要なんてありません。


これに対して他人に対してドライだという意見もあるでしょうが、自分を相手や周りの色に染めてまで仲良くしなさいというほうが暴力的なように思えます。

 

人間関係においては他人に理解を求めすぎない、あるいは他人を理解した気にならないということが必要だと思います。
そもそもどんな関係であろうと人と人がお互いを100%理解し合っているなんてことはありえません。
もちろん相手に関心をもって何を考えているか想像するというのは素晴らしいことですが、それでも理解しきれないのが人間というものです。


「この人は自分を理解してくれているはずだ」とか、「自分はこの人のことを理解している」というのは都合のよい考えであり、そうでなかったと分かった時にあらぬ衝突を生みます。
理解できないから仲良くなれないというのは相手に対して求めすぎであり、健全な態度とはいえません。
理解できないとしても、その人の個性として認める気持ちがあれば仲良くはやっていけるはずです。

 

これはいろんな問題に応用できる考え方だと思います。
例えば恋人どうしでもそのような距離感をもつべきであり、極端な事例かもしれませんが「相手は自分の思い通りに動いてくれるはずだ」と思うからDVのようなことが起きるのです。
親子の関係だとしても例外ではなく、親が子どもに対して望みすぎることは子どもの成長に悪い影響を与えます。


さらにいえば差別の問題もここから派生しているように思います。
自分たちとは異なり、自分たちでは理解できない存在だからといって差別や迫害が起こるのです。
そもそも誰かと関わるうえで理解ができるかできないかはそれほど重要なことではありません。


無関心がいいといっているのではなく、理解できないなりにその人に寄り添おうという優しさを持つべきです。

 

個人主義を充実させるには人々の意識だけでなく、日本社会の構造から見直す必要があります。
日本は女性の社会進出が進んでフリーランスへの理解が進んだとはいっても、まだまだ男性は企業にしばられて女性は家庭にしばられるという構造はあまり変わっていません。


ここで個人主義社会のモデルとして北欧社会の働き方をとりあげたいと思います。
北欧では男女問わず育休をとることができ、給与面でも差別されることなくパートタイマーとして働くことも可能だそうです。
男性も女性も会社で働く日、家事、子育てに専念する日、さらに自分の趣味に費やす日を上手く分けることができるのです。


そのような社会が成立するのかと思われるかもしれませんが、事実北欧では日本ほど少子化も進んでいません。

 

会社にさえ勤めていれば安定という時代ではなくなり、自分で自分に責任を持たないといけないようになったからこそ、これまでなかった個人主義という考え方を日本にも取り入れるべきです。
そのためにはまず人々が良い意味で「自分は自分、他人は他人」という気持ちで個性を認めながら人間関係を築くこと、そして個人レベルで働きやすいような社会構造を作ることが求められます