「世界は1つ」は実現できるのか

「世界は1つ」といわれれば、全人類が目指すべきスローガンのように聞こえます。

もちろん民族や国家での分断によって差別や戦争が起きることを考えたら、世界が1つであるべきだというのは正論に聞こえます。

 

しかしここで、「世界は1つ」という考えが逆に分断をもたらすという皮肉な結果になることはないのか、ということを考えるべきです。


つまり「世界は1つなんだからみんな仲良くしましょう」という言い方は実は逆効果になる恐れがあり、「世界は多くの世界に分かれており、そのそれぞれを認め合いながら仲良くしましょう」という考え方ができたほうが、結果世界は平和になるのではないでしょうか。 

 

現在各国でナショナリズムが高まっており、ヨーロッパでは極右政党の台頭という事態が起こっています。
では逆にグローバリズムは静まっているのかといえばそうではなく、コロナ禍という状況はあるにせよグローバル化はこれまで通り進んでいます。


グローバリズムナショナリズムという逆の概念が同時に進んでいることは若干奇妙に感じるかもしれません。

しかしそれは矛盾ではなく、グローバリズムに対する反動としてナショナリズムが高まっているのです。

 

グローバリズムは地球を一つの共同体として統合することを目指します。
では、その統合するときの価値観や制度というのは一体誰が作り出したものでしょうか。


全民族、国家が意見を出し合って納得してできたものであれば問題はないでしょうが、そうでなく基本的には欧米諸国が作り上げたものです。

文化や経済などにおいてそれぞれの立場があるにも関わらず、無理矢理にでもそれでまとめあげようとすることで当然反発が起こるのです。

 

ここで構造主義という哲学の考え方を紹介したいと思います。


とはいってもあまりにも難しい概念なので橋爪大三郎さんの「はじめての構造主義」という本の言葉を借ります。
「言葉が何を指し、何を意味するかは、言語のシステム内部で決まることであって、物質世界と直接に結びつかない」 

つまりそれぞれの言語にそれぞれの構造があるということであり、ある単語に対して全人類が共通したものを認識できるわけではなく、民族によってその認識は異なるということです。

 

さらにレヴィ・ストロースという人はその構造をそれぞれの民族の神話や思考にまで見出しました。
これ以上詳しくは上手く説明できる自信がないので、ぜひ橋爪さんの本を読んでみてください。

 

そしてこの構造主義というのは、世界が1つになって発展していこうという考えとは相性が悪いのです。
それを象徴しているのがレヴィ・ストロースサルトルの有名な論争です。


サルトル実存主義で知られる哲学者ですが、その哲学はマルクス主義的な歴史観を前提にしています。
マルクス主義歴史観とは、人間の歴史を進歩の歴史ととらえ、原始社会から進化をとげて現代に至るという歴史観です。


しかしレヴィ・ストロースからすれば原始社会にはそれなりの優れた構造があるわけです。

それにも関わらず、原始社会を遅れたものとして西洋が作ってきた社会だけを完全なものとしたことに異を唱えたわけです。
構造主義は西洋中心に世界を引っ張っていこうという流れに対して、もっと相対的にいろんな民族、文化に注目するべきだと待ったをかけたことで現代の主要な哲学の1つとなっています。

 

それぞれの国家や民族の文化を尊重するべきということは分かりましたが、それも簡単な問題ではありません。
中には人道的に許されないような風習や決まりだって存在するでしょうし、そういうものは国際的に認めないようにするべきです。

 

またその国の文化というのが権力者によって都合よく捏造され、愛国心を高めるために利用されることもありえます。
実際国民がその国の文化を正しく理解できているかといえば、必ずしもそうではありません。
日本人にしても、日本文化に対しては誤解しているところも多いようです。
例えば日本文化といえば素朴で質実なイメージが強いですが、時代によっては全くそうでもない時代もあります。

 

そもそも文化とは固有の固定的なものであるという誤解が解かれなければなりません。
文化がそれぞれ異なって存在しているというのはその通りですが、そうはいっても、お互いに影響を及ぼし合いながら存在しています。


日本を考えたら分かることですが、古代からシルクロードを通って大陸の影響を大きく受け、信長の時代からヨーロッパの影響も受けています。
これが理解されれば偏屈なナショナリズムに向かうことはないのではないでしょうか。

 

さらに文化とは変動的なものです。
日本文化という揺るがない1つの概念があるのではなく、それは現在も変化し続けており、これからさらにさまざまな影響を受けながら付け加えられていくのです。
だから日本の伝統を残していくとともに、変えるべきところは必要があれば変えていくべきであり、それでこそ文化なのです。


その際はなんとなく新しい文化が入ってきたから安易にそれにしてしまうのではなく、思慮深く伝統と革新を混ぜ合わせることが求められます。
現在の日本はアメリカによるグローバリズムの影響を強く受けていますが、それに自国の文化がのまれすぎないようにすることは課題の1つだと思われます。

 

それぞれの文化がそのように交流、発展を遂げていくなかで、共通した普遍の真理を見出すこともできるかもしれません。
なにもそれは欧米諸国が代表して提示する必要はないのです。
そんななかでやがてそれぞれが異なる価値観に寛容になりながら、緩やかに世界が統合されていく。
「世界は1つ」という理想が実現するとすれば、そういうかたちを目指すべきでしょう。