こだわりを持つということ

こだわりがある方がいいか、ない方がいいかというのは結構難しくて、「あの人はこだわりがない」というのも、「あの人はこだわりが強い」というのもどちらも悪く聞こえます。

 

思うに、こだわりというのはあったほうがいいけど、ありすぎないほうがいいものだというのが結論です。

 

大量生産、大量消費の現代社会はいろんなことにこだわりを持てます。

いい車を持ちたい、いい服を着たいなどです。

またスマホ1つあればさまざまなサービスを受けることができます。

 

そういう時代だからこそ、いろんなものにこだわって生きればいいと思うかもしれません。

しかしたとえ人生における時間の使い方の選択肢が増えたとしても、時間そのものが増えたわけではありません。

昔に比べて寿命は延びましたが、1日24時間というのは変わらないのです。

それに商品やサービスを利用するのはお金もかかります。

 

さらに今はSNSで他人の動向をチェックすることもでき、そういうのを見ていると自分の生活は何か物足りないんじゃないかという気になってきてしまいます。

いわば社会そのものが、人の承認欲求を刺激して消費に走らせるというシステムで構成されているわけです。

 

だから時間やお金といったコストをどこにかけるかというのを考えた時に、自分にとって有意義なものに絞るという発想もあっていいと思います。

 

昔であればそれほど選択肢もないし、今に比べて情報も遮断されていました。

だから毎日が同じようなリズムで刺激がなかったといえばそれまでですが、「もっとこんなことができる、こんなものが欲しい」という焦燥感に駆られることはなかったはずです。

 

この焦燥感の正体は、承認欲求や他人との比較だと思います。

「あの人に比べると自分は」という、考えてもどうしようもない考えが堂々巡りしているのです。

そのような感情は永遠に満たされることがありません。

 

逆に自分の人生の目的、意義を考えてそこから逆算して必要なことをするという発想ならば、自分の中でしっかりゴールが見えているから変に焦燥感に襲われることはないはずです。

 

かつて日露戦争で騎兵隊を率いてロシアのコサック騎兵を破った秋山好古という人の言葉に「男子は生涯一事を成せば足る」という言葉があって、僕はこの言葉を意識して生活しています。

人間一生の中でそんなにいろんなことができるわけじゃありません。

ならば自分がやり遂げるべきことを絞ってそれに集中したほうが、結局満足のいく結果を得られると思います。

 

僕はもともと地域活性化という人生の目的を見つけてそこから仕事を選びましたが、今はそこから派生、追加されて、人生で3つのことを成し遂げられればそれでよいという考えに至りました。

まずは仕事面で、今の会社で実力を持って業界そのものを動かしたいということです。

次に趣味ですが、このブログをはじめネット上でできるだけ有意義なものを書いて、多くの人に読んでもらうということです。

最後は平凡ですが、生活面で家庭を持つということです。

 

一事を成せばといいながら三事成そうとしていますが、できるだけ人生は単純化したほうがいいというのが僕のポリシーです。

とはいえストレス発散は大事ですし、関係のないこともするべきであることは否定しません。

それが悪いというわけでは決してありませんが、1つ確実にいえるのは、他人との比較をしないほうが上手いこと自分の幸福感をコントロールできるということです。