日本の土地問題

 

土地というのは当然人々が暮らすうえで欠かせないものであるとともに、豊かな歴史や文化、自然の詰まった財産というべきものです。
しかし日本では、現代になって土地というものに対する畏敬の念がなくなってきているように思えてなりません。


岩波新書から出ている五十嵐敬喜さんの「土地は誰のものか」という本が、日本における土地の問題について詳しく書いているのでこの記事はそれを参考にしています。

 

そもそも日本の歴史において人々は、自分たちの土地の所有権を最大の関心事としてきました。
それを保障することで権力者は支持を得ることができたのであり、源頼朝徳川家康といった英雄が乱世を鎮めて統一国家を築けたのも各地域の自治、支配を認める土地政策をとったことにあるといえます。


しかし昭和になって高度経済成長、さらには田中角栄による日本列島改造という流れのなかで土地は居住や生産のためのものではなく、売買や開発によって利益を得る商品へとかたちを変えていきました。
そして日本の土地所有権史は地価の高騰とバブルの崩壊、空き家の増大という結末を迎えるのです。


それは土地の所有権がしっかりしていた時代には意識されていた、自分たちの土地を適切に管理するという責任感が欠如したことで起きたともいえます。

 

では現在になってその事態は解消されたかといえば、日本の土地所有権や都市計画のありかたは欧米のそれに比べて粗雑であるといえます。
日本は「建築自由の国」であるといわれており、「建築不自由の国」である欧米諸国が都市計画に基づいて土地の利用権が与えられるのに対し、日本では開発による値上げを見込んだ土地の買い占めが自由に行えます。


欧米諸国では土地は公共のものという発想が強いので、急激な地価の高騰や空き家の増大といった異常な事態が起きないような規制が用意されていますが、日本にはそれがないのです。

 

さらに日本の都市計画は各自治体で定められているものの、自治体の裁量権は弱く実効性がないのが現実です。
また日本では建築や開発が全国一律の基準で行われるため、各地域の事情や風土は深く考えられません。
日本の都市に外国の都市ほどの個性が感じられず、同じような町並みが多くなっている原因はここにあります。


自治体は基本的には国の定めた都市計画の方針に従うしかなく、それに合わせて行われる個人や企業の無制限の開発や建築を規制することもできないというところに根深い問題があります。

 

土地を各個人が勝手気ままに利用するのではなく、かといって国家に所有権を制限されるのでもない新しいかたちとして、本書では「総有」という概念を使っています。
それは各地域のコミュニティのもとで人々が土地を共同で利用、管理することを目指していくということです。


本書に書かれている内容ではないのですが、北欧には「万人権」という概念があって他人や自然の土地を損害を与えない範囲で使用することが認められているそうです。
日本では考えられない発想ではありますが、土地をみんなで共有しようという考え方は参考にするべきだと思います。

 

土地問題については、国民作家司馬遼󠄁太郎が「戦後社会は、倫理をも含めて土地問題によって崩壊するだろう」とまでいって、警鐘を鳴らしています。

歴史作家であることから、政治の問題には口を出さないというポリシーだった司馬ですが、「土地の商品化をやめて公有にするべき」ということだけは、声高に主張しました。

 

詳しくは「土地と日本人」という、司馬の対談集を読んでいただければと思います。

いかに戦後の日本人の土地に関する感覚、政策が歪なものか、そこに司馬がどれだけ危惧を感じているかがよく分かります。