前回の記事を日本の戦争についての話で終えたので、それに関連して話を続けます。
歴史作家の司馬遼󠄁太郎は、戦争を経験したことで「いつから日本人はこんなに愚かになったのか」と疑問に感じて、それを動機に歴史小説を書き始めました。
そして司馬は、明治までは日本人は偉大だったという結論に至りました。
人間というものは、根本はいつの時代もそんなに変わりませんし、「昔は良かった」みたいな話はあまり好きではありません。
それでも、幕末の動乱の中で明治維新を遂げた日本人を考えてみると、明らかにあの頃の人たちは違うなと思ってしまいます。
当時欧米列強に狙われて植民地化の危機のあった日本は、黒船の来航からわずか10数年で近代国家に変身を遂げます。
これは歴史的快挙ですし、当時の人々が自分のことよりも、どうすれば社会がよくなるかということを冷静に考えて実行できたからこその結果でしょう。
今の時代も日本はさまざまな問題に溢れています。しかし日本人が、幕末の時のようにそれを乗り切れるかといわれると疑問です。
果たして戦後になって日本人は変わったのか、あの戦争の時の体質を受け継いだままではないか、とも思ってしまいます。
ちなみに日本人に絞っているのは、単位を小さくしたほうが考えやすいからというだけで深い意味はありません。
本当は全人類規模で考えるべき問題かもしれませんが、規模を広げすぎると考えるのが難しくなるので、今は自分たち日本人に絞って考えています。
社会の諸問題を解決するためには、それぞれが自分の価値観を持って、自分がこうすれば社会のこういう問題が良くなるんじゃないかと考えることが大切です。
何も大それたことをしないといけないというわけではありません。
ちっぽけな行いでも、多くの人間が行えば大きな前進となります。
だから前回の記事の最初でもいったように、難しいことではありません。
僕はこのブログで、自分の価値観、目的を考える手助けになることを書けたらと考えています。
だから社会や人間に関しての問題に触れる記事や、考え方が豊かになるような記事を書いていくつもりです。
最後に日本人はこれからどう生きていくべきかを考えるうえで、「21世紀に生きる君たちへ」という小学生向けに教科書に書かれた文章を紹介します。
書いたのは、日本の戦争に絶望して過去の日本人を深堀りしたあの司馬遼󠄁太郎です。
「21世紀に生きる君たちへ」は短くてすぐ読めるので、ぜひおすすめしたいのですが、これほど素晴らしい文章は他にないといっても過言ではないと思っています。
ここでは一部引用します。
「君たちは、いつの時代でもそうであったように、
自己を確立せねばならない。―自分に厳しく、相手にはやさしく。という自己を。そして、すなおでかしこい自己を」
「自己といっても、自己中心におちいってはならない。人間は、助けあって生きているのである」
「助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、
いたわりという感情である。他人の痛みを感じることと言ってもいい。やさしさと言いかえてもいい。『いたわり』『他人の痛みを感じること』『やさしさ』みな似たような言葉である。もともと一つの根から出ているのである」
「この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていけば、他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、人類が仲よしで暮らせる時代になるのにちがいない」
「書き終わって、君たちの未来が、真夏の太陽のようにかがやいているように感じた」
司馬はここで、それぞれの人間が頼もしい人格をもって他者に優しくできるならば、未来は明るいということを主張しています。
日本人への絶望からスタートして過去を見つめてきた彼が、最後に未来は明るいという結論に至ったのは、とても深いことのように思います。
僕は先程戦後になって日本人はそれほど変わっていないのではないかというマイナスのことを書きました。
しかし人間というものにあれほど向き合ってきた司馬遼󠄁太郎がそういうのであれば、きっと未来は明るいのでしょう。
ただそれは、あくまで「他人への優しさを持った自己を確立できれば」という条件のもとです。