抽象化のために勉強する

「どうして勉強なんてめんどくさいことをしないといけないのか」というのは、子供の時に誰もが抱く疑問ではないでしょうか。
しかし親や先生は「受験のため」としか答えてくれず、子供にとってはどこか腑に落ちません。
勉強しないと落ちこぼれてしまうという切迫感だけをモチベーションにするのは、子供からすれば大きなストレスです。

勉強は本来面白くて自分の成長につながるものであるにも関わらず、詰め込み式の学校の授業ではそれは感じられません。
テストや受験が終われば知識は忘れてしまいますし、覚えていたとしても断片的な知識や言葉だけであってそれでは深い理解にはつながりません。

では勉強する目的は何かと聞かれたら、「抽象化すること」だと僕は答えます。
どんな科目の内容であっても、抽象化していけば普遍的な真理にたどり着くことができます。

例えば人間の本質について知りたいと思えば、歴史や文学、哲学などの文系的なアプローチをすることもできれば、心理学や脳科学などの理系的なアプローチも可能です。
特定の分野だけでなく、複数の分野をつなげて理解することで知識に奥行きが生まれます。

そしてそのたどり着いた真理に正解はなく、人がそれぞれ自分なりに考えればいいのです。
学校での勉強では正解を覚えることが求められますが、本来の勉強の目的とはそれぞれが自分なりのアプローチで独自の正解を導き出すことだと思っています。

この抽象化という手段は、勉強だけでなく趣味や好きなことにも活かすことができます。

例えば映画を見て考えさせられた内容は、明日からの自分の考え方や行動につなげられるかもしれません。
さらに知り合いの話していることであっても、なるほどと思ったことは他のことに転用することができます。

この抽象化ということについては、ベストセラーになった前田裕二さんの「メモの魔力」という本を読んでいただければよく分かります。
ある事柄を抽象化し、それを自分の行動へと転用するためのメモの取り方が詳しく書かれてあるのでおすすめです。

この抽象化という手段を用いた勉強は、AIが主流になるこれからの時代においてこそ必要になると思われます。

AIに代替されない人材となるためには、AIにはなくて人間にしかない素質を磨くべきです。
その素質とは何かというと、1つは他人への共感や感受性です。

現代は社会の合理化に伴って実用的な知識にばかり重きを置かれるようになっていると感じます。
仕事で直接活かせるような資格をとることばかりが重視されるようになり、さらには社会で役に立たないとして大学の文系学部を廃止するべきだという意見まであります。 

実用的な知識も当然必要ですが、それさえあれば優秀な人材になれるという発想は非常に危険です。
仕事をしていくうえでは人間への理解が不可欠であり、それがない人が会社などに入って働いていけるとはとても思えません。
この人間への理解は実用的な知識からだけでは得られず、さまざまな知識を組み合わせることが必要です。

もう1つ人間にあってAIにはない素質として、「クリエイティビティ」があります。

異なる知識、分野を掛け合わせて既存にはないものを創造するというのは、人間にしかできないことだそうです。
それは異なる知識を抽象化して共通点から新たな答えを探るという作業をすることで、実現が可能になります。

最近では興味のある特定の分野を学ぶ日本の大学の教育方針に対して、「リベラルアーツ」という概念が提唱されるようになりました。
「一般教養」とも訳されますが、広く浅く教養を得ることで多用な視点から物事を考えられるような学び方をいいます。

これからAIに代替されない人材になるためには、この「リベラルアーツ」という学び方が欠かせません。
大学に限らず義務教育の段階でもせっかく多くの科目を習うのであれば、そのような学び方ができれば理想だといえます。