「名著紹介」と題して名著といわれる作品の要旨をまとめる記事を書いていますが、これを書くのは一苦労です。
いろんな記事を書いていますが、この「名著紹介」が一番時間がかかるし頭を使います。
そもそもこの「名著紹介」は、読んだことはないけど題名は知っているというような名著があれば、その内容を知ってもらおうという目的で書いています。
おもしろそうと思って実際に読んでもらえればベストだと思っています。
なのでできるだけ分かりやすく、気軽に読んでもらえるものにしたいというのが僕の気持ちです。
しかし実際の文章を分かりやすく噛み砕いて書こうとすると、著者がいいたかったこととずれる恐れが出てきてしまいます。
あくまで筆者の主張に忠実にまとめあげる必要があります。
この両方を満たさないといけないというのが大変なのです。
だから著者の文をそのまま引用することも多いです。
分かりやすく自分の言葉にした方がいいのでしょうが、それをやってしまうと筆者の主張とずれるのではという恐れが出てくるからです。
筆者の主張をそのまま汲み取ることは意外に難しいです。
どうしても自分の考えに寄せて解釈してしまいそうになるのです。
昔国語の受験勉強をしていたら、参考書に「評論を読む時は自分の意見を一旦忘れないといけない」と書いてあったのを思い出します。
ここで「解釈は人それぞれだから自分なりの解釈で読んだっていいんじゃないか」という意見の人もいるかもしれません。
しかし小説ならまだしも、評論を読む時に解釈はそれぞれという考えは間違っていると思っています。
著者が何を伝えたかったかというのは1つであり、著者がAと主張しているのにBだと解釈するというのは、著者に対して失礼にあたります。
その1つの主張に対してどう思うかというのはもちろん人それぞれです。
しかし解釈はあくまで読む人全員が一致しないとおかしいということになります。
またその本の中のどの部分を取り出すかというのも、頭を悩まされます。
いわば評論には結論というべき幹の部分と、それを補完するための枝葉の部分があります。
きれいに幹だけにしてしまうのが、まとめ方としてはきれいです。
ただ枝葉の部分に魅力的な文章があったり、ここを抜かしたら駄目なんじゃないかと考えさせられたりすることが多いです。
結局この抜き出し方でよかったのかと分からないままになってしまいます。
まだまだ読書の量が足りません。
スキルを上げたうえで、これからもいろんなジャンルの名著に挑んでいきたいと思います。