正しい倫理観、哲学を持って生きていくべきであるといわれても、人間である以上それには限界があります。
欲望を抑えきれないこともあるし、そもそも正しさとは人によってさまざまです。
正しく生きようとすることはもちろん素晴らしいですが、それを強いられすぎると弊害が生じます。
何事も完璧主義というのはよくありません。
正しくなれない自分に絶望したり、あるいは他人に自分の正義を押し付けることになるかもしれません。
実際にそのような弊害を生じさせかねない極端な倫理観が世の中にはいくつかあります。
例えば以下のようなものです。
・人に迷惑をかけてはいけない
人間だからミスをしてしまうことはありますし、それにより迷惑をかけてしまうこともあるでしょう。
それは仕方のないことですし、またある程度は自分の都合を優先することも大切です。
日本では「人に迷惑をかけるな」と教えるのに対し、インドでは「人に迷惑をかけられても許してあげなさい」と教えるというのを聞いたことがあります。
人間だから迷惑をかけてしまうことはあるというのを前提にしているわけで、自分だってそうしてしまうのだから許してあげようという考え方です。
そう言われると肩の荷が下りる気がします。
・みんなと仲良くしないといけない
本気でこれを実行したとしたら、おそらく精神をすり減らして本当の自分が分からなくなってしまいます。
相手に合わせるということも大事ですが、それでも合わない人は存在します。
中には自分を利用しようとする人間だっているはずです。
それを見極めて人付き合いをしないと損ばかりしてしまいます。
みんなと仲良くと思うと、自然と嫌われてはいけないという発想になります。
しかし誰からも嫌われないのは不可能ですし、嫌われてでも自分を貫かないといけない時もあります。
また仲良くすることばかりを考えると、人と喧嘩もしてはいけないことになります。
でも仕方のない時は、喧嘩したっていいんじゃないかと思います。
もちろん理不尽であろうと耐えるべき時もあるでしょうが、「やられたらやり返す」という某ドラマの主役のような胆力を持っていないと、人にいいように使われてしまいます。
よく人と仲良くする平和主義を象徴する人物としてガンジーが挙げられます。
しかし彼を喧嘩を否定した人、協調が全てだと言った人だとするのは誤解です。
彼の理念は、「非暴力、不服従」であって、その非暴力の方だけが切り取られて語られがちです。
ガンジーはイギリスの植民地支配に対し、臆病になって服従するくらいなら暴力を振るってでも抵抗した方がまだましだと言っています。
彼にとって最も愚かなのは理不尽に服従することであり、その次が抵抗の手段として暴力を使うことでした。
ここはよく誤解されています。
・親の言うことは絶対に聞くべき
親を大切にするべきであるということは否定しません。
しかし親といっても子どもの生き方を縛る権利はありません。
「いい大学に行きなさい」、「結婚して子供を生みなさい」というようなことを言われても、それは自分の意思で決めることであって強制されることではありません。
また「親の言うことは絶対」という発想は、毒親や虐待をしてくる親から子供を逃げられなくしてしまいます。
まるでそこから逃げようとしている自分が悪かのような錯覚を起こしてしまいます。
というように見てきましたが、結論は「ときには図太く、無神経に生きてもいいんじゃないか」ということです。
人は100%正しくなんて生きられないですし、自分はそうやって生きているという人がいたら嘘つきです。
正しくはなりきれないし欲望に従って生きてしまう自分を自覚している人のほうが、よっぽど立派な気がします。
もし崇高な生き方というのがあるのだとしたら、それは崇高になんてなれないと自覚するところから始まるのではないでしょうか。