新しい資本主義は実現可能か

「新しい資本主義」は岸田内閣が掲げたスローガンですが、その実現にはさまざまな課題が残されており、抜本的に経済の仕組みを見直すことが求められます。
日本ではバブルの崩壊から経済が停滞し続け、「失われた20年」とよばれる時代が続いています。
日本に限らず先進国では格差が広がり続け、経済成長にも翳りが見えるようになりました。


また気候変動による影響が大きく、近年多発している豪雨や台風も地球温暖化によるものだといわれています。
二酸化炭素の排出量は家庭からよりも企業から出る量の方が圧倒的に多く、企業の経済活動そのものを見直さなければこの問題は解決されません。
それも速やかに対応しなければ取り返しのつかないことになるといわれており、日本は2050年までに二酸化炭素排出量をゼロにすることを国際的に約束しています。

 

このようにこれまでの資本主義のシステムは限界を来しており、その転換が求められています。
SDGsという新しいゴール設定がされていますが、このようにそもそもの根本の価値観から見直す必要があるのです。


資本主義そのものが悪だというわけではなく、その枠組みの中でもこれまでとは違う道を模索することができるはずです。

 

まず見直すべきなのは西洋を起源とする、科学により人間が自然に手をくわえようという合理主義です。

新型コロナウイルスの影響で世界的の経済が打撃を受けたことからは、自然を前にした人間の無力さを学べると思います。


「自然」という言葉を英訳すると「nature」になりますが、この2つの言葉には微妙なニュアンスの違いがあります。
「自然」は人間も含めた概念ですが、「nature」は人間と分けた概念であり、これが西洋と東洋のとらえ方の違いを表しています。

東洋に限らず、世界中のあらゆる地域で自然との共生を大事にした思想が根づいており、西洋から生まれた合理主義にそのような思想を混ぜ合わせていくべきではないでしょうか。

 

また競争の原理によって必ずしも社会が良い方向に進むとは限らないということを考える必要があります。
日本では20世紀の末からアメリカ式の新自由主義をとりいれるようになり、公共性の高い分野にまで市場原理を導入するようになりました。
それにより経済力のある企業が安価な商品やサービスを提供するということが、安全が優先されるような公共性の高い分野でも起きる可能性が高まりました。


経済学者の宇沢弘文は、農業、教育、医療といった分野を「社会的共通資本」と名付けてそこに競争原理が入ることに警鐘を鳴らしました。
詳しくは岩波新書から出ている「社会的共通資本」を読んでいただけたらと思います。

 

資本主義といえば、思想家であるアダム・スミスの「神の見えざる手」という言葉が有名です。
アダム・スミスは人間が欲望に従って経済活動をしていけば自動的に社会が上手くいくことを主張しました。


資本主義の前提として知られるこの考え方ですが、実は彼は人間の性質として欲望だけでなく共感性についても触れています。
彼は人間に良心があるからこそ、競争によって不具合が生じることは防がれると信じていたのです。
しかし今の事態は彼の想定を超えているというべきであり、これから人類に求められるのは「利他性」というものです。

 

この利他性ということを考えるうえで、岩波新書から出ている広井良典さんの「ポスト資本主義 科学・人間・社会の未来」という本が参考になったのでここから引用します。
この本では、紀元前5世紀前後に仏教や儒教ギリシャ哲学、旧約思想といった思想が各地域で同時多発的に起こった背景として、農耕と人口増加によって各地で環境問題が起きていたことがあるのではないかと仮説を立てています。
また約5万年前にもあらゆる芸術作品が一気に作られる時期があり、それも狩猟採集の活動が環境からの制約を受けたことで人々の意識が芸術や自然信仰へとむかったのではないかとしています。

 

つまり「資源・環境的制約の中でいわば『物質的生産の量的拡大から精神的・文化的発展へ』という方向を導くような思想として、あるいは生産の外的拡大に代わる新たな内的価値を提起するものとして、生じたと考えられないだろうか」ということであり、物質的な成長が停滞期を迎えると精神面での文化発展の時代に入るという面白い仮説です。
もしそうだとしたら経済成長が限界を迎えた現代にこそ、人類は精神的に豊かになって利他性を発揮できると希望をもてます。


資本主義が始まった当初は経済活動を広めていかなければならなかったため、私利の追求が正当化されたのは当然かもしれません。

しかしそれを経済発展の結果として人類の存続が危ぶまれている現代になっても引きずっているのはおかしな話です。

 

同書によれば資本主義が始まる前から市場経済は存在しており、この2つは別の意味を持っています。
「資本主義と市場経済が異なる点は何かというと、それは最終的に『拡大・成長』という要素に行きつくのではないか」ということであり、資本主義は「不透明性、投機、巨大な利潤、独占、権力等といったものが支配的となる」と説明しています。


今から資本主義以前の市場経済に戻るというのは無理があるかもしれませんが、拡大や成長を目的としていなかった市場経済の考え方はこれから参考になるはずです。

これからの時代は経済活動で利益を出すということも大事ですが、そこには利他性が伴わなければなりません。

 

大河ドラマの影響で、日本に株式会社、資本主義を興した渋沢栄一の思想が知られるようになりました。

彼が唱えたのは「道徳経済合一説」というもので、会社の利益が公共の利益にもならないといけないと主張しました。

日本の資本主義は、そのような前提で始まったということを忘れるべきではありません。