人間は幻想を生きているにすぎない

イギリスの詩人ロバート・ブラウニングの言葉に、「神は天に在り、世はすべてこともなし」というものがあります。
「生きていればいろんな嫌なことが起こるが、それは人が勝手に否定的にとらえているだけで本当は気にしないといけないようなことは何一つ起きていない。難しく考えずに神様に委ねていれば全てが上手くいく」というように僕は解釈しています。

 

僕はこの言葉が好きで、嫌なことがあるたびに心の中で唱えています。
もちろんそんなことをいっていられないほど、人生や世界とは残酷かもしれません。
しかしそれを受け入れて生きていかないといけないのであれば、こういう考え方でいられた方が心は楽になります。

 

これは西洋の言葉ですが、このような「所詮人生なんて幻想にすぎない」という思想はむしろ東洋に強く見られます。

 

織田信長が好んだことで知られる「敦盛」の舞には、「人間五十年下天の内をくらぶれば夢幻のごとくなり」という一節があります。
人間の世界の儚さを表現していますが、信長に限らず武将でこのような考え方をしていた人は多いようです。
普段から死と隣り合わせにいたからこそ、そういう考え方でいなければやっていけなかったのでしょう。

 

また古代中国の思想家である荘子の言葉に「胡蝶の夢」という一節があります。
荘子は自分が胡蝶となって自由に舞っている夢を見ますが、いざ目が覚めてみると、「胡蝶となって舞っていたのが夢なのか、人間として暮らしているこの状態が夢なのかは分からない」という考えを浮かべました。
荘子がいうように私たちが現実だと思っているこの人生は存在しておらず、長い夢を見ているだけなのかもしれません。

 

仏教にも「空の思想」というものがあります。
空とは実体のない状態のことであり、般若心経の「色即是空」という言葉は、ありとあらゆる物質や存在を空だといっているのです。

 

1人ひとりの人間も、たまたま細胞が集まってできた実体のない存在だといえます。
これは決して人間の尊厳を軽んじているわけではなく、自分の存在や人生をあまり重く考えるなという仏教の教えなのです。

 

「世界や人生というのは自分の意識が勝手に生み出したもので、客観的に見れば存在していないかもしれない」なんてことをいえば笑われるかもしれません。
しかしこれだけ発展した現代の科学でも、「この世界は確かに存在している」ということは証明できていません。 

 

それは科学によって証明できるようなことではなく、今後も世界や人生の謎が解明されることはないでしょう。
それでも1つだけいえることは、客観的な事実は分からないにしても、主観的な解釈は自由自在にできるということです。