7 テロの時代の日米安保
2001年同時多発テロを受けてブッシュ大統領は、タリバン政権がアルカイダのメンバーを匿ったとしてアフガニスタンに攻撃をかけます。
このアフガニスタン戦争の際に小泉純一郎首相は、「テロ対策特別措置法」を成立させて自衛隊の米軍への後方支援を可能にしました。
当時の「周辺事態法」では後方支援が不可能な範囲であったため新法を作る必要があったのです。
さらに2003年にブッシュ大統領が、イラクが大量破壊兵器を保持しているとしてイラク戦争を始めた際も小泉はこれに追随します。
「イラク復興支援特別措置法」を制定し、イラクの非戦闘地域に自衛隊を派遣できると決定しました。
しかし当時のイラクに非戦闘地域などあるのかという疑問が起こり、国会で非戦闘地域がどこか問われた際に小泉は「私に聞かれたって、わかるわけない」と開き直った答弁をしました。
8 集団的自衛権と重要影響事態
2014年に安倍晋三内閣によって憲法解釈が変更され、集団的自衛権の行使を認めることが閣議決定されました。
これまで日本の危機に対して自衛隊が反撃する個別的自衛権は認められていましたが、集団的自衛権はアメリカなどの同盟国の危機に対して自衛隊が反撃するというものです。
これに対しては日本がアメリカの戦争に巻き込まれるという、いわゆる「巻き込まれる恐怖」から反対の声が多くあがりました。
安倍は日本がアメリカの戦争に巻き込まれることはないと主張しましたが、当時報道を見ていた側からすればそれはあまりにも根拠のないものでした。
安倍はむしろ「見捨てられる恐怖」を強調し、自衛隊が米軍の危機の際にともに戦えなかったら、アメリカは日本が危機になっても見捨てるかもしれないと主張しました。
しかし縦に長い日本列島に在日米軍基地があることは、アメリカの世界戦略上大きすぎるほどのメリットがあります。
その日本をアメリカが簡単に見捨てるとは考えづらく、安倍の主張には納得感が得られない部分が多かったといえます。
翌年日米間で15ガイドラインが結ばれ、これまでの「周辺事態」という言葉は「重要影響事態」という言葉に変わりました。
そして自衛隊が米軍の後方支援をできる範囲に地理的制約はなくなり、自衛隊は地球の裏側でも行けるようになりました。
そもそも安倍は「戦後レジームからの脱却」というスローガンを掲げて首相になりました。
安倍からすれば敗戦国として軍事力を放棄させられ、米軍に防衛を任せなければならなかった戦後の外交は屈辱の歴史だったといえます。
そのような歴史から脱却したいというのが安倍の根底にある考えであり、集団的自衛権の行使容認もその1つでした。
しかし外交などの政策は現実的観点から進めるべきであり、そのような情緒的判断をするものではありません。
いずれにせよ冷戦下で極東の安全を守るために始まった日米安保は、グローバル化してアメリカの世界戦略の中に組み込まれていきました。