街の魅力を伝えるために③ 伝統と革新の狭間で

いかなる論題にも伝統派と革新派というのはいて、その落としどころを探すのは一苦労です。

まさに人類の永遠の命題というべきでしょう。

そしてそれは街づくりという分野でも例外ではありません。

 

日本では街の開発がどんどん進んでいますが、それでも保存という概念もしっかり存在し、歴史的景観であるからと「保存地区」に指定されている地域は各地にあります。

 

しかし保存地区に限らずどの地域にもそこだけの歴史があるのだと思えば、開発によって街並みが変わっていくのは反対意見が出るのは当然でしょう。

だからといって時代に合わせて街も変化していく必要があると思えば、そうも言っていられないというのも納得できます。

 

ここで独自の芸術家として知られる岡本太郎の「日本の伝統」という本から、それに対するヒントとなる考え方があったので引用します。

 

「彼ら(歴史上で名作を生み出してきた芸術家たち)はけっして伝統主義者ではなかった。古い伝統をたくましくのりこえたモダンアートの創始者だったのです。当然その時代にも、今日の伝統主義者たちのように、過去にあこがれて新興芸術を罵倒しさげすんだ文化人が多かった」

 

つまり伝統とされているものもその時代には革新的なものだったのであり、伝統は守るものではなくて発展させていくものだというのです。

これは芸術論ですが、街の景観などさまざまなことに応用できる考え方だといえます。

さらに引用します。

 

「それが現実であり、日本現代文化の姿であるならば、全面的におのれに引きうけなければならない。ツバをひっかけただけで通りすぎるとはもってのほかです。残酷な絶望的な現実であるならばこそ、あるがままを認め、そこから出発する決意を持つべきです。

私は逆に現在のこれっぽっちのために、過去の全部を否定してもかまわないと思っている。過去を評価するために、現在がごまかされて、いいかげんにされ、スポイルされるよりは」

 

昔の風景に比べて現代は荒んでしまったと思う人もいるでしょう。

高層ビルが立ち並んで電車や車が落ち着きなく走っているという光景は、たしかに昔ののどかな風景への憧れを想起させます。

しかしそうはいっても否定するわけにはいかない現実の光景が目の前にあるのだから、それを受け入れるしかないではないか、と過去の芸術からも大きな影響を受けている岡本太郎が言うのには説得力があります。

 

ただそれでも昔にせよ今にせよ、街には人々が集う空間があるべきだというのが僕の考えです。

しかし近年のデジタル化はメタバースという仮想空間まで生み出しており、街という概念そのものがひっくり返る可能性が出てきています。

メタバースではないにせよ、今後街中がデジタル化された光景に埋め尽くされていくことは想定されます。

果たして街が人々のコミュニケーションの場として機能し続けるのかという不安はあります。

 

村上隆さんの「文化財の未来図」という本には、文化財もデジタル化されて視覚でしか楽しめない未来が来るのではないかという危惧が述べられています。

それについて述べた文章に心を打たれたので引用します。

 

「人間の本質として、五感の感性を有することが大事であると思っている私にとって、先人たちが残してくれたほんものの文化財と対峙し、同じ空間で呼吸することは、最高の『心のインフラ』と位置づけられる」

 

どれだけ街の風景が変わったとしても、そこは古代から先人たちが暮らしてきたのと同じ空間であって、それを噛みしめることすらできないのは悲しいことです。

デジタル化がそんな感性までも奪ってしまうのではないかというのも、今後考えるべき課題の1つです。

 

僕は旅行をした街について記す紀行ブログをしているともに、仕事も街の景観に関わることをしています。

いわば街というのは、僕の人生の大きなテーマです。

だからこそこれから街の風景がどのように変化していくのか、注視していきたいと思います。

 

しつこいようですが、また紀行ブログのURLを載せておきます。

https://tabisu.hateblo.jp/